読了:うたかたの日々(ボリス・ヴィアン)

うたかたの日々 (ハヤカワepi文庫)

うたかたの日々 (ハヤカワepi文庫)

小さなバラ色の雲が空から降りて来て、シナモン・シュガーの香りで二人を包みこむ…ボーイ・ミーツ・ガールのときめき。夢多き青年コランと、美しくも繊細な少女クロエに与えられた幸福。だがそれも束の間だった。結婚したばかりのクロエは、肺の中で睡蓮が生長する奇病に取り憑かれていたのだ―パリの片隅ではかない青春の日々を送る若者たちの姿を優しさと諧謔に満ちた笑いで描く、「現代でもっとも悲痛な恋愛小説」。

最初は読んで驚いたのだ。黒ひげのハツカネズミがキッチンで太陽の光線が蛇口に当たって玉のように転がるのを追い掛け回していたり、スケートリンクで壁にぶつかった男は紙のように潰れてはりついてしまい、掃除夫にブラシで片付けられる。コックは生活のために働いているのではなく、友情と誇りのためにその地位を選んでいるのであって、召使いしか参加できない哲学サークルに出席する。楽しげで奇妙な文章はまるで愉快なカートゥーンのようだった。
ふわふわして地に足がついていないような多幸感に包まれたコランとクロエの恋模様は、なんだかラリってるのかと思うほど、調子よくトントン拍子にお祭り騒ぎの結婚式へ辿り着く。
しかしそこからだんだん雲行きが怪しくなってきて、いつかクロエは胸に睡蓮の花が咲く奇病にとりつかれてしまう。病気の治療費のためにコランは働かざるを得なくなる。経済の困窮と労働の苦さによって、家の窓から入る太陽の光は前ほど輝かなくなり、粘土細工のように天井が次第に低くなって壁が迫ってくるようになる。この小説では状況や雰囲気、気持ちに呼応して、身の回りのものが有機的に変化してくるんである。
比喩を比喩のままにせず、ものがすべての感情や状況を代弁するように、心理描写を拡大していった結果がこういう形なのか。
病気の進行と共に家はどんどん縮んでいき、ぽっかり残されたクロエの寝室を除いては廊下もキッチンも通り抜けるのも難しいくらい狭まってくる。コランの心そのまんまなんだろう。コランは擦り切れ、文字通り罵倒され物を投げつけられる仕事に疲弊していく。
一方で友人カップルのシックとアリーズの関係も破綻する。もともとバルトル(サルトルがモデルかな)が好きなもの同士が付き合い始めたものの、いつまでもバルトルが一番大事なシックと、だんだんバルトルよりもシックが大切になってくるアリーズはすれ違う。シックはバルトル愛好の延長としてアリーズとの関係を捉えているので、彼にとってはバルトルのものを集めるのは彼女をも喜ばせるはずの行為だった。そしてそのためなら恋人との結婚はおろか自分の生活すらどうでもよくなってしまう。そんな彼を守ろうとして、アリーズは鉄の心臓抜きを手にシックの求めるものそのものを殺していく。
愛の本質とは何か、ふたりの関係で大事なものは何だったのか。両手を打ち合わせたときに出る音は、右手から出ているのか左手から出ているのかというようなものだ。その本質は関係性にあるとすれば、恋愛も心の中で想っているだけでは単なる独りよがりであって、表現すること、伝えること、そのための行動をすることこそが相手との関係を作り、誠意となりうるんだと思う。彼女が殺したのはなんだろう、立ちはだかる冷たい現実だろうか。やむにやまれず闇雲に何かに立ち向かっていくものの、その先には破滅しか待っていないという象徴のような殺人行為である。最期は叔父の胸に思い出のような金髪だけを残して火の中に燃え尽きてしまう。
詩的というのか、抒情を叙景にそのまま移植したような奇妙さは、乾いた感触のまま心の動きを増幅してみせる。これは凄い。ハツカネズミの最期まで切ない。

「それじゃ、そんなようなわけだったらお前にサービスしてやるかな。だけど考えてみると、何が“そんなようなわけなのか”さっぱりわけがわからないんだがな」