DVD:ノルウェイの森(監督:トラン・アン・ユン)


村上春樹のベストセラー小説の映像化である。
原作のほうはブレイクした90年代初めくらいに読んだ。当時高校生だった。さっぱり判らなかった。比喩を比喩と理解できなければ、文学を愛することは出来ないからだ。とにかく一読だけして、その後またその本を開くことはなかった。
しかし今になって映画を観てこんな話だったのかと驚いた。正直言って、時代背景すら私は把握していなかったのだ。バブルの頃の恵まれた大学生が甘えた糜爛の中に漂っている話なのかと思い込んでいた。しかし実際は全共闘時代の60年代最後、『二十歳の原点』の時代だったのだな。だとしたら何が違うのかというと、同じことをしていても多少、必死さや痛々しさが違う気がしてくるから不思議なものである。
この映画は原作ファンからしてみると、あそこが違う、ここが抜けてる、これを外したら意味合いが変わってしまう、文脈から外れてしまうという意見がたくさん出てくるようだ。しかし原作は上下巻の長編である。2時間ほどの映画にするには、どこかを削らなければ収まらない。だけども、熱心なファンにとってはすべてが必要なエピソードで、どこを削っても不満はあるのだろうなというのも、想像に難くない。完成された小説というのはそういうものだから。
しかしそれを置いても、美しい映像であった。昭和の空気が充満した端正な風景に光が射す。殺風景な下宿にバウハウスのような色鮮やかなインテリア。木造家屋の細い手すりや黒光りする板の間へ植物の影が落ちる。松山ケンイチの粘土にへらで刻んだようなくっきりした二重瞼と、菊池凛子のそこはかとない果敢無さ、水原希子の均整の取れた横顔が人形のように美しい。
ああ、村上春樹ってこういう感じだよなと非常に納得したのだった。
作り物のように美しくなめらかで音楽的かつどこか退廃的。その中で都会的で口から先に生まれてきたような男女が絡み合い、笑い哀しむ。(あまり怒らない。)雑多なものを濾過して取り除き、純度の高い状況を抽出したもの。これぞ文学である。新劇のようでもある。映像になってようやく得心がいった気がする。生と死の物語であり、性はそのまんま生の暗喩である。そうしてみると性的なことを処構わず口走る緑のなんとキラキラしていることか。自らの不能を搾り出すように叫ぶように告白する直子の、なんと痛々しいことか。
映画の作りは多少は表面的に過ぎたかもしれない。しかしそれは小説のテイストを更にデフォルメしたともいえるんじゃないかな。また台詞回しがかなり芝居がかっているのだが、これも現実離れした美しい映像とよく調和していた。この映画ではそのものズバリを描いているのではなくて、画面に映る事象はすべて比喩であり心象風景である。ドールハウスの中のような小さな食卓の風景も、何処の国なのか判らない施設の景色も、岩場で身も世もなく泣き叫ぶ若い男も、決してリアルではないがそれでいいのだ。そうした『見立て』の効果を高めていたように思う。
原作は読んだことがあるとはいえ、話の内容はほとんど覚えていなかったのだが、最後のシーンだけは何故か鮮明に覚えていた。初めてみる映像を観ながら、ああ次にあの台詞がくる、とさえ思った。唯一覚えていた箇所だけでも、こうまでピッタリくる映像なのかと唸ってしまった。

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)