『T・S・スピヴェット君 傑作集』(ライフ・ラーセン)及び、映画:天才スピヴェット(監督:ジャン=ピエール・ジュネ)


『T・S・スピヴェット君 傑作集』という物々しいタイトルの、変形A4版の分厚い冊子(本文381頁)が原作である。最初に本屋で見かけたときは何の本なのかと思った。カバーは科学的な匂いのするスケッチで埋め尽くされ、中を見ても横書きでびっしき書き込まれた活字の余白にこれまた説明と思われる科学イラストの数々。裏を返すと本体価格4,700円。ソフトカバーの翻訳小説にしては思い切った高値である。だけど衝動買いした。こういうのに弱いんである。
重くて持って歩けないので、毎日寝る前に少しずつ読んだ。天才スピヴェット君の生い立ち。生まれついてのカウボーイだった弟のレイトンが死んだこと。古色蒼然たる最後のカウボーイであるお父さんとの関係。お母さんは昆虫学者で、お姉さんはアイドルになりたがっている。細かく図を入れての説明つきで、ゆっくりとスピヴェット君の生活が浮き彫りにされていく。家族の特性は頭脳派のお母さんとスピヴェット君に対し、肉体派のお父さんと姉と弟に分かれていて、特に言葉数の少ないお父さんとの関係は微妙に距離がある。その距離を埋めていた弟が失われたことで、家族の中心にぽっかりと穴が開いたようになっていたのだ。
ところでスピヴェット君は天才だけども、考えることがどこか間が抜けている。旅に出るにも持ちきれないほどの荷物をトランクに詰め込み、レイトンの車輪つきの玩具の引き車に載せて運んだりする。その中身は何冊ものノートや骨格標本や方位磁石など、およそ長旅には無用の長物になりそうなものばかりだ。そしてあんなに違うお父さんとお母さんがどうして結婚したのかも判らない。子供なのである。
旅に出ることでスピヴェット君は多くの体験をしひとつひとつ学んでいく。持ちきれない道具類がだんだん少なくなるのは、頭で判っていたことが血肉になっていく過程を表したものか。スピヴェット君が怪我をしたときにミドルネームの由来を表すスズメの骨格標本も壊れてしまうのは、ちょっとした奇妙な符牒である。天才的な頭脳に経験値が追いついていき、家族に愛されたい気持ちや家族にちゃんと愛されていることや様々なことを実感していく。そんな映画の雰囲気はほぼ原作通りだ。もちろん原作がかなり密度の濃い長編なので端折ってある部分はあって、特にある地下組織の話などは面白いのに惜しいことである。
どちらにせよ、スピヴェット君が偉かったのは、弟のレイトンの身代わりになろうとはしなかったところだ。彼は彼なりのやり方を模索し、自分自身になろうとして、力いっぱいやりきった。原作ではスピヴェット君が牧場を旅立った早朝に追い越していったピックアップトラックの中で、お父さんは息子をはっきり見ていたことになっている。何故家出を止めなかったのかは、とても好い理由があるのだが、ここでネタばらしするのはやめておこう。
映像は美しく、3Dで模型や図版が飛び回り、非常に楽しい映画だった。なにより原作も映画も最後に救われているのがしみじみといい。

T・S・スピヴェット君 傑作集

T・S・スピヴェット君 傑作集