読了:賢者の石(コリン・ウィルソン)

賢者の石 (創元推理文庫 641-1)

賢者の石 (創元推理文庫 641-1)

死の問題にとりつかれた一人の青年が永生を夢みて不老長寿の研究を始める。研究は前頭前部葉の秘密に逢着し、彼は意識をほとんど無限に拡大し、過去を透視できるようになる。パラドックスを伴わない真の時間旅行がここに初めて実現する。だが意外な妨害が……。『アウトサイダー』の著者が描く、壮大な人間進化のヴィジョン。

トンデモ似非科学が眉唾で夢があって楽しい。割と感化されやすいので、そう心を戒めつつ読んでいた。
この本がそういう内容かというとそれとは関係なく、よく進化の行方を占うに肉体を捨て去るというヴィジョンがあるよなということを連想した。精神の肉体からの開放というのがあまりすっきり納得できない。誰だって風邪をひけば心細くなるし、腹が減れば機嫌が悪くなる。栄養状態や体調が悪ければ殺伐とした気分になり、それが続けば疲れて身も心も病んでいくし、精神が荒廃すれば心身症にだってなる。逆に寒いところにファンヒーターを導入すればそれだけで幸せな気分になるわけで、肉体と精神というのはかように相互に連絡しあっているものなんである。そもそも原始的な感情である恐怖心が何故あるのかといえば、肉体的なピンチを回避するためである。身体が致命傷を負えば生命もまた消える。精神は生命があってナンボ、つまり肉体の奴隷なのだ。肉体を維持するという役割がなくなれば、精神にすることなんかほぼなくなる。むしろ精神だけがある状態を作り出したとしても、それ維持するには何らかの求心力が必要なわけで、強力な役目や目的がなければすぐ霧散してしまいそうな気もする。そもそも知的欲求を追及するのは何のためなのかっつー話だ。生命がエネルギー体だとしたらそのエネルギーを保存できれば済むことである。それだけが存在するなら余計な知的欲求もいらなくならないか。水が固体液体気体と経巡るように、エネルギーが半永久的にただ循環するシステムがあれば済む。そんなんで都合よく『エゴ』だけが残るなんておかしいだろう。肉体と精神を切り離すなんて、物事の順番を履き違えた世迷言である。チャンチャラおかしいわ、けっ。というのが基本的な私のスタンスである。
とはいえ、この本で主人公が目覚めるのは脳外科手術によってだし、肉体とともに揺れ動く精神を考察しつつ、時空を超えた頭脳プレイによる闘争を描いたものであって、最初のうちこそ『仙人になるたったひとつの方法〜ライフハック! 超絶人生術〜』かと思っていたが読み進めてみればそんな小さくまとまった話ではなく、決して身体性を否定するものでもなかった。ゆえにこのようなちゃちな理論武装をしていても、あまり防御の役には立たなかったのだった。
世迷言ってのは考えると楽しくて、つい嵌ってしまうものである。ただそこにあるだけのことになにかしら意味付けをしたがり、風が吹くにも葉が落ちるにも理由や答えを求めたがるのも人の業でもある。ただそれだけのことだ、と万物を受け入れるのは科学的ではないとか、知りたがる向上したがる追求したくなるのは何故なんだろう。物事を整理し、タグを付け、交通整理をして片付けるのに快感を覚えるのはなんなのか。
ああもう、(私も含めて)人間ってしょうもない! 判らないこともある、それじゃダメなのか。
そう自戒しつつ、つい求める答えを提示される快感に身をゆだねてしまう読書体験であった。知りたいと思うことは、かように危険なロマンに満ちているのである。