読了:楽園の泉(アーサー・C. クラーク)

楽園の泉 (ハヤカワ文庫SF)

楽園の泉 (ハヤカワ文庫SF)

赤道上の同期衛星から超繊維でできたケーブルを地上におろし、地球と宇宙空間を結ぶエレベーターを建造できないだろうか?全長四万キロの“宇宙エレベーター”建設を実現しようと、地球建設公社の技術部長モーガンは、赤道上の美しい島国タプロバニーへやってきた。だが、建設予定地の霊山スリカンダの山頂には三千年もの歴史をもつ寺院が建っていたのだ…みずからの夢の実現をめざす科学者の奮闘を描く巨匠の代表作。

地球建設公社の技術部長にして天才工学者が主人公である。この仕事の前にジブラルタル海峡にアーチ橋を架けるという大事業を成功させた実績がある人物だ。土木事業を達成するには工学の知識のほかに、土地の確保だとか資金の調達だとか、規模が大きくなればなるほど政治的な擁護や世論の賛成も必要になってくるし、とにかく雑事に取り囲まれた地に足が着いたものとして描かれる。そのせいか、主題の宇宙エレベーターを建設しようという夢物語としか思えないような壮大さに関わらず、現実的に対処すればなんでも可能なのだと思えてくる。夢を現実に。これぞ技術者のロマンである。
古代の王の逸話から始まるこの小説は、建設予定地に歴史的遺産といえるような寺院があり、立ち退いてもらわねば事業が成らないという、SFらしからぬ問題を提起する。
その一方で一見無関係な異星からの探査機スターグライダーの逸話が挟まれ、宇宙規模でみれば宗教も神話もすべて哺乳類的なホルモンによる「妄想」でしかないと断定してしまう。
人類の躍進と宗教を秤にかけて、しかし簡単に古臭いものとして寺院を排除してしまうようなことはしない。標高の高い霊山の荘厳さや僧侶たちの求道的な美しさをこれでもかと描いた上で、いったん科学はひきさがるのだ。年月が流れある偶然が奇跡を起こすまで。
それによって事態がまた流れ始めるのは、なんでも強引に進めればいいってもんじゃなくて、『物事には時期があるのだ』ということか。スターグライダーも人類の哲学や宗教観などには強い影響を残したものの、人類が到達していない未知の科学技術については黙したまま去っていく。まだ人類はそれを手に入れる時期ではないから。
マクロで見れば意味のないことかもしれないが、それでも我々は生きていくのだ。大きなことを考えて達観したような気になって悟り澄ました顔をしても、血潮が通う哺乳類で人類であることからは逃れようがない。そこを間違えてはいけない。老年に達した作家の人生に対する境地を感じた。
過去の失敗から学び、技術的な問題に行き当たり、ときにはエレベーターを周期的に振動させて低軌道で回っている衛星を数キロ差でかわすなど、目の覚めるようなハードSFっぽい構想も繰り広げられ、後半の冒険以外は思弁的ともいえるような試行錯誤が繰り返される。とっとと着手してしまえば話に勢いがつくし楽しいし簡単かもしれないが、あらゆる問題を処理していく準備期間のなんと豊かなことか。そうした苦労の末に辿り着くエピローグがまた美しい。


宇宙空間へ物資や人を運ぶ「宇宙エレベーター」、実現は15年後?

「私は現在86歳で、20年後でもまだ106歳にすぎない。多分、生きているうちにそれを目にすると思う」。会議においてクラーク氏は、スリランカの自宅から衛星中継でこのように話した。
「宇宙エレベーター」実現に向けて、第2回国際会議開催―WIRED VISION

残念ながら宇宙エレベーターの実現を見ることなく、2008年3月、後年移り住んだスリランカにて90歳でクラークは亡くなっている。この小説の舞台となったタブロバニーという地名は、スリランカの古名である。この小説が出版されたのは1978年だが、その時点でクラークは60歳だったのだな。