多少のストレスは生きるためには必要ですという話

ぱやぱやと遊びの計画ばかり立てていたら、毎週末が埋まってしまった。いつ夏ばてすればいいのだろう。ずっと切羽詰った生活をしてきたせいか、享楽的な予定の連続になんだか罪悪感を覚えてしまう。消費するばかりでなく、もっと生産的なことをしなくていいのだろうか。しかし何をしたらいいのか判らない。茫漠と目の前に広がる砂漠のような、捉えどころのない引っ掛かりもない時間が恐ろしい。エンストしそうである。
疲れない程度に走り続けろという話題が注目を集めていたけども、ヒネた私は確かに主観的な充実感を得るにはいい方法だと思う。泣いても笑ってもどのように過ごしても一生は過ぎいつか死に至るのだから、本人が満足するのが重要なのかもしれない。幸と不幸はひとつの振り子のようなもので、その振り幅が大きければ感受する興奮度合いも大きいものだ。つまり厭な思いもしておかなければ、嬉しさもあまり感じない。辛い目に遭えば当たり前のことでも非常に嬉しく感じる。
楽しいことばかりでは楽しさも味わえなくなるというのは、触るものがすべて黄金になってしまう手を願って授けられた王様のような切なさだ。本末転倒。しかしそれにしても本末って何だろうな。