- 作者: 伊藤計劃
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/02/10
- メディア: 文庫
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責任の所在は元を辿るとどんどん拡散していってしまいに空に霧散してしまう。人を殺すという究極の決断になぞらえて、何故それをしたのか、決断する根拠は誰が担保しているのかを問いかける。上からの命令で戦闘行為を行う場合、誰かが起きている事象を調査し、別の誰かがそれを吟味し、また別の誰かが暗殺するに妥当であると判断するわけだ。不定形のものが捏ねられ様々な経過を経て、確固たる暗殺指令となって実行部隊である主人公のところへ下りてくる。命令されたから人を殺す。ふと主人公はあるきっかけでそこに違和感を持つ。
きっかけとは女手ひとつで育ててくれた母の事故死である。事故死といっても医療の発達した近未来のこと、病院に運ばれた母は昏睡状態で生命維持装置に繋がれてまだ心臓は動いていたのである。快復の見込みはなく、装置を止めれば自発呼吸はなくなる。どうしますか、装置を止めますか止めませんか。医者にそう聞かれて、主人公は装置を止める承諾の書類にサインをしたのである。
僕は母を殺した。自分の意思で殺したのだ。そうして立ち返ってみると、いままでしてきたことはどういうことだったのだろうか。
読みながらここではて、と困惑したのである。この人はどうして軍人になったのだろう。
身体は最新装備に守られ、衝撃は人工筋肉の乗り物に吸収され、事前の心理プログラムで痛覚は遮断し良心はブロックしながら、人殺しする。ここまできてどうも読み違っていたようだ、と軌道修正した。ラリッて見ず知らずの人間を殺しても、テレビゲームのようにリアリティが欠如しているということか。だから繊細な心の持ち主でも兵士でいられたと。
何かに対する罪の意識や世の中のここが悪いということをとめどなく考え続けどんどん話を大きくしていくと、既存のシステムに乗っかってのうのうとしていて、そもそも人間として生まれてきてごめんなさいということになってしまうんだよな。私は人間が敏感に反応できる範囲というのは限りがあって、だからこそ生きていけると思っているし、確信的にイルカにも同情しないが、そうした折り合いをつけられなかった太宰治のような人物が自棄を起こしたということだろうか。
そして便利な道具のお陰で等身大というものが薄く引き伸ばされた結果、結末はああいうことになるのだろうか。強大な力を手に入れたとき、人はどのように振舞うかという話でもあるのかな。そこにボタンがあったら押してみたいのが人間だと。単純な好奇心を満足させるために、いろんな理由を考えつくのだとか。未読の方のために曖昧な書き方に留めておくが、それはそうとして実は主人公自身が呪いにかかった結果というわけではないのかな、とちょっと思ったりもしたのだった。