- 作者: ロレンス・スターン,朱牟田夏雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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まず『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』と銘打って自分の人生を完璧に語ると大風呂敷を広げ、生まれる前どころか受胎前の状況から事細かに語り始めるのである。出来事を多方面から詳細に書き起こしていたら生きることそのものよりも時間がかかるわけで、本人も途中で書けば書くほど書かねばならないことが増えていくなどと嘆き始めたりする。当たり前である。自らの出生に関してあることを説明しようとして比喩を持ち出しては横道に逸れ、劇中で登場人物が語る物語に飛び移り、それに対する言い訳を繰り広げ、ややあって元の路線に戻ってきてみると未だ生まれてもいない。ようやく辿り着いた産褥のシーンでも居間で待つ紳士諸君が長々と話し込み、医者を呼びにやると泥まみれになって登場し、そのわけをまた詳細に説明し始める。さっぱりテーマである生涯が始まらない。そして登場人物の牧師さんがのちに亡くなったといってはページを真っ黒に塗りつぶして弔意を示したかと思えば、真っ白のページを用意してここにあなたの思い描く最高のご婦人を描写してみろとそそのかす。
しかしこれが無計画にだらだらと話し続けているように見えて、物凄く計算されているようなんである。語るべきところは語り、その上で次々とネタを繰り出してきて読んでいて飽きさせない。ああでもないこうでもないと御託を並べているが、それでも一向に厭味臭くならず語り口が崩れない。一見とりとめのないようでなんとなく辻褄が合っていたりするので、つい続きを読んでしまう。未完で尻切れトンボだということすらギャグの一部なんじゃなかろうか。
そんな技巧についてはあちこちでたくさん言及されているので詳しくはそちらをご覧いただくとして、この遊びに満ちた本が出版されたのは1759年から1767年、18世紀半ばのことである。こんなのが小説というものの形式がやっと定まったような黎明期に既にやられてたのだとすると、いまさら新奇なことなどなにもないんじゃないかという気がしてくる。内容についても偏執狂というのは古今東西なにも変わらないのだなとしみじみしてしまう。丁寧な言葉を尽くして語られるのが鼠蹊部に受けた傷のことだったり、見たこともないほど大きな鼻についてだったり、下世話なところに終始しているのに、話があちこち飛んではじけるのでどうも誤魔化されて面白くなってきてしまうこととか、人間の興味の方向ややることなすこと、なにも変化なしってことか。古典というのはときどきこういうのがあるから怖い。