映画:『レ・ミゼラブル』(監督:トム・フーパー)

ミュージカルの映画化である。実をいうと舞台映画小説すべてにおいて初の『レ・ミゼラブル』である。なんとなくあらすじだけ聞きかじって知っているつもりになっていたうちの1本だな。
日本語に訳すと『あヽ無情』である。原作が書かれた時代が時代だし、初めてミュージカルが上演されたのも1980年代ということで、楽曲はアレンジはされてるにしてもミュージカル初演のときと基本的に同じ曲なのだろうし、古典的で古臭いといえば古臭い。しかし観終わったあとでなんだかんだいってもこれが人生だと感銘を受けるのは古今東西変わらないものなんだろう。
物語の始まりはナポレオン百日天下王政復古の年らしい。ということはジャン・ヴァルジャンが投獄されたのはフランス革命の頃で、獄に繋がれている19年の間に特権階級と絶対王政が廃止されてルイ16世マリー・アントワネットはギロチンの露と消えている。更にその後のジャコバン独裁政権も倒され、ナポレオンの第一期帝政も始まって終わり、いつの間にかパリには凱旋門が聳え立っていたということになる。そうしてなんだかんだあっていったん王政復古して時代に逆行していた時期のお話だ。クライマックスは7月革命という涙が出そうなほどエモーショナルなレトロ感ではあるな。
これが人生だなというのは、官憲ジャベールはジャン・ヴァルジャン自身の頑固な正義感そのものが身体を得て追いかけてきているみたいだなと感じたことである。あとで調べたらふたりのモデルとなったウジェーヌ・フランソワ・ヴィドックという人がいるのだな。もともとひとりの人間の表と裏なのか。
ヴァルジャンが「正しい人」になろうと目覚めたきっかけは司教による神の愛の実践だったが、神様というのはそんなに親切なものではないので、いざ正しく生きようとしても考え無しに従えばいいインスタントな善の道を授けてくれるわけではないのだな。状況に引き裂かれながら悩み考えて進むしかない。より善く生きようとする際の一番しつこい敵は、絶対的な正義を振りかざす自分の良心だったりする。正義感というのは厄介なもので、絶対に正しいと思い込んだ途端にひっくり返る。法律や正論だけが正しいわけではない。臨機応変に自らの判断を礎に自らの責任において信念を持って生きるのは物凄く大儀なものだ。しかし一方、正義は貫き通すもので、情に絆されてはいけないというのも一理ある。そういった迷いに引き裂かれながらよろよろと逃げるように進むのが人生である。ジャベールが斃れたとき、ヴァルジャンはなにかを乗り越えたのだろうか。
そういう自省の強い人にとっては死は救いとなるのかもしれない。映画の最後はいってみれば自動涙スイッチを押されるようなベタさではある。しかし心の片隅で「私も救われたい〜」とちょっと思ったのも確かなのだった。ベタだとかメタだとかちっぽけな自意識の気取りなんかどうでもいいのよな。