ワインもいるよね

よんどころない事情によりしわ寄せが来て、ひとの仕事をつぶさに分解し吟味して材料を足し、もう一度丸めて捏ねて焼き直す作業に忙殺されておった。死ぬかと思った、脳細胞の何割かが。日に2〜3回は先方から電話が掛かってきて煽られるわ、心配した上長が絶えず視界の端っこで浮遊してるわ、もともとやってた案件のチェックバックも急ぎだわ、途中参戦ですんなり理解なんかできるわけもない残念な頭の持ち主だもんで、そこに流通する概念をまったく知らないまま身一つで異世界に放り出された気分でしゃにむに前へ進むしかなく、1日が終わる頃には消耗しきって煙の立ち上る消し炭である。久しぶりに脳みそを酷使したわい。しかし急ぎということは終わりも早いということで、目の粗い熊手で豆をかき寄せるようにして無理やり目途をつけ、焼きあがったアツアツのブツを剛速球で次へ投げつけては、とりあえずの時間稼ぎをするのだった。休み明けの厳しい突っ込み・差し戻しが目に見えるようだ。やれやれだぜ。


毎月100万円振り込まれたら、あなたは仕事を辞めますかという設問がボトルに入った手紙のように流れてきた。もとは女性誌の紙面上で「辞めると答えたアナタは仕事と自分の関係を見直すべきかも」という真綿で首を絞めるような向上心ありきの設問だったようだが、よく考えるとこれはつまりベーシックインカムが実現したらという話だよな。その前にベーシックインカムが施行されたらインフレが起きないのだろうかと不思議な心持になるのだが、経済に詳しいわけでもない身で云々してもビタイチ実りはないのでそれは置く。
さて仕事の何が厭だとて労働環境の余裕のなさなのだよな。時間も人も金もだ。それらは複雑に絡み合ってキツイしがらみを形成している。余裕のなさが状況を追い込み人を駆り立てる。確かに定期的に不労所得を得られることでギスギスの半分くらいは解決するのかもしれない。
しかしひとはパンのみにて生くるにあらず、たとえ生活に困らなくともボス猿がマウンティングするが如くの振る舞いや人目を引くための詐称やら優位に立ちたいがための虚勢などは、ひとがひとである限り滅びない。むしろ金銭からの自由はひとの悩みを一つ減らし、悩んでいた分の隙間に次の何かを探すんじゃないか。金の次に求めるものは何か。名声じゃないのか。生活の心配がなくなったら、ますます自尊心の拠り所を求める傾向が強まるんじゃなかろうか。周りと横並びで一律に偉いことにしたとしても、それで満足するだろうか。頭ひとつ抜け出たいと願うのが人のサガであろう。誰もが仏様のように泰然自若としていられるわけでもなかろうし、暇になると碌なことをしないのが世の倣いである。
だからベーシックインカムに反対かというと、そうでもない。パンのみにてというのは、逆にいえばパンがなければ始まらないのであるからして、それも一興なのではないかな。