映画:東ベルリンから来た女(監督:クリスティアン・ペッツォルト)

文中で結末に触れている。

とても静かな映画だった。8年後にベルリンの壁崩壊をひかえた東ドイツの田舎、風の強い海沿いの街である。枯れ草とダルトーンの色彩が美しい。
ベルリンから移住してきた女医は、新しい職場に馴染もうとしない。当時の東ドイツといえば周りの誰が密告者なのか判らない社会状況が思い浮かぶ。そして東ドイツに限らず共産諸国で医者になるとは、頭の良さを見込まれて国民の血税を使って特別に教育を受けたということであり、勤め先の病院は国立なので公僕となる。その医者が都会の病院から移ってきたということは、可能性として本人の意思に反して移されたと想像もできるわけだ。人材の流出を防ぎたい国の事情と、華やかで自由な西側に脱出したいひとりの若い女性という構図がみえてくる。
しかし彼女は優秀な医師でもある。彼女の中には職業倫理がしっかり根ざしており、どれだけ冷たく周囲を無視しようとしても患者を救いたいという真っ当な医師としての言動は覆い隠せない。そうすると医師同士で通じるものはやっぱりあって、多少偏屈でも次第に信頼を獲得し受け入れられて自然と居場所もできてしまうような生真面目な女性でもある。
たぶんだけど、西側から仕事でやってくる恋人への感情は、いち個人を恋するというより資本主義社会への憧れと渾然一体となったものだったんだろうな。付加価値と人間性は切り離せないもんで恋なんてたいていそんなものだし、そんなことはきっと本人も判っている。そしてそのために似合わない危険を冒し屈辱的な取調べも我慢している。それでも西側へ行って恋人と一緒になりたいのだな。地味な現実とキラキラした憧れというのは、どこへ行っても形を変えてあるものではある。だからこそ映画の中の彼女の心情に共感できるのだ。
そして最後は真面目な彼女ならそうせざるを得ないだろうなというのがまた、哀しいというかやるせないというか。真面目な人がバカを見る世の中かもしれないけど、自分だけが良ければそれでいいとも思えないのも自分だからしょうがないのか。
病室で朗読していた「ハックルベリー・フィンの冒険」で抜き出された箇所が

そうすれば、みんな僕が死んだものと思うだろう

だったので、いなくなったフリをしてどこかに潜むのかと思いきやちゃんと病院へ戻ってきたのは、ここでやっていく覚悟を決めたということなんだろうな。こういう女が覚悟を決めるときはなにもかも含まれるのである。