合掌。

さて、働くか。今年の冬に帰省したときも、地元の友達は元気だった。ガレキ山の処分もようやく済んだらしい。気分はもう次の段階に入ってるってさ。
寒の戻りに現場へ出ていて調子を崩した。手足が痺れて最後は意識が半分飛ぶほど身体を冷やすと、風呂に入っても1日では元に戻らない。同じ場所にいても殿方は平気だったりするので、代謝が低いために死にかけているということなんだろう。ジョギングでも始めようかと半ば本気で考えるのはこんなときだ。暑くても寒くても人間は簡単に死にかける。拘束時間よりこっちのほうが死に近い。元気溌剌にならねば下手をすれば死んでしまう職場。なんかおかしい。私は虚弱だったはずなのに。生きてるとおかしいことばかりだ。今日はあったかいから少し良い、ってリューマチのおばあちゃんか。
そういえばリューマチではないが顎を割った古傷がしくしくする。天気が崩れるのだろうか。顎が細すぎて親不知なしでも歯がきれいに並ばなかったので手術で上下とも5mmほど広げているのだが、この手術をしたときのスースーする感じは後にも先にも体験したことのない感覚だった。打撲の痛みと切ったときのそれは違うけど「痛い」というカテゴリーでは同一だと感じる。鈍痛もキリキリする痛みも痛いものは痛い。だがそれとはまるで違う、連続したなにか妙な冷たい不快感なのである。痛み止めを飲めば治まったのでおそらく痛みの一種なのだろうと納得したのだけど、骨は筋肉や皮膚とは違う感じ方をするものなのだな。
感じ方といえば、科学的な説明や数字というのはそれ以上でもそれ以下でもない無味乾燥なもので、そこにロマンを見出すのは人間の所業である。