ないない尽くし

確かここにも何度か書いた気がするが、私の学歴は一風変わっている。リアルでは説明するのがいささか面倒なので話題を振られない限り自分から話したりはしないのだが、こないだそういう話をしていたら熊も把握していなかったのでゲラゲラ笑ったのだった。私が話さなすぎなのか、熊が憶えてなさすぎなのか判断しにくいが、そんなことはどうでもいい。ともかく私が専門教育を受けていると知らず、理系を自称するのが不思議でならなかったのだそうな。今更か。仕事内容など業界外の人に話しても意味がないので大した説明もしたことはないものの、一応は技術者であることくらいは承知しているはず。それだけでもだいたい類推できんものかと疑問に思ったのだが、それこそ業界外の人間が技術者とは具体的にどんなことをしているのか知っているわけもなかった。
まあ、ねぇ。本人がどんだけ手間と時間と金銭をかけようが、他人には関係ない。そんなものである。それでいて主張するほど素晴らしい学歴でもないしな。今となってはただの社畜である。いや、社獣だっけか。
何を主張しようと他人は誤解する。もしくは理解したいように理解する。何度も繰り返し言っても判りたくないことは本気にしない。痺れを切らして行動に表わした途端にしゅんとするのである。ちょっと説明してみせればあとで誰かがさも持ちネタかのように披露しているのも何度も見掛けている。説明が理解を助けるのではなく、それ自体が身を飾る道具として使われる。説得など不毛だし、こうなってくると説明するのも面倒になる。
話しても判らないならば言葉など不要だし、現在を体現しても通じない。人間同士なんて個と個のぶつかり合いでしかない。被害を被ったとしても恣意的に反駁し渡り歩いていくしかない。怒ってみせるのもコミュニケーションのひとつだ。だからといって相手は反省などしない。正義を振りかざせるのは一方的な犯罪行為に巻き込まれるなどの極端な場合だけ。それも「正義」という飛び道具を手に入れるだけのことだ。誰かが被害者意識を慰撫してくれることを望んでも無意味だ。自分さえよければそれで満足しておくのが上等だ。
ないものはない。ないものがある。私の住む世界はないない尽くしでできている。