ふらふら生きた10年

計画するのだけは好きだった。たぶんシステムとか機構とかそういうのにわくわくするタチなんだと思う。一日の配分を決める円グラフなどは特に楽しい。

こんなやつだが、その通りに行動したことはない。理想を掲げてもそれは自分とは切離された観念的な概念であって、それが我が身に降りかかるのだという覚悟はてんでないのである。やれることとやれないことの区別もついていない。だいたいいつも気分次第で動いているので未来の自分の細かい状態など予測すらつかず、ノッてれば楽勝だけどダメなときはテコでも動かないので細かく計画するだけ無駄なのだ。ダメ人間である。夏休みの宿題は新学期が始まってからやっつけるタイプ。子供のうちは怒られれば済むが、大人になるとそれでも最後は帳尻を合わせねばならないので、リカバリーばかりが上手くなる。そのくせ「やると決めたことはやり遂げる」という謎な習性があって、だいたいいつも力技で乗り切ってきた感がある。
忘れ物も物忘れも激しいし、スケジュールに合わせて動くのも苦手だ。特に出来ないのが、人の誕生日におめでとうメールを送るというやつ。前日までは憶えていても、何故か当日に限ってすっぽ抜け、次の日にまた思い出したりして頭を抱える。ホント、すまん。こればっかりは向いてないんだ。いっそ自動配信してくれるサービスに外注すべきかもしれん。
しかし、苦手なんですぅ、で許してもらえないのが社会というもので、仕事の時は予定を3か所くらい書き込み、復唱し、メモを取り、赤ペンチェックを欠かさず、それでもちょいミスして怒られている。報連相は伝えなくてはダメというのも自分なりに徹底しているので、たぶん普通の人のちょっと抜けてるレベルくらいまでは底上げできているのではないかと思う。しかしこれでなんだ出来るじゃないか、プライベートでもやれと言われたら死んだほうがマシかもしれん。こういうだらしないのが苦手な人は、きっと黙って離れていってるんだろう。申し訳ない気持ちはあるけどこれ以上はムリ。本当に病気になったことがあるからね、他人の好意と自分の人生を天秤にかけたらやっぱり自分の人生をとるよ。
数字や記号の羅列の判別も苦手だ。そんなの誰だってそうだよと思われるかもしれないが、そんなかわいらしいレベルではない。ページ番号をふっていても134、135、136、138‥‥と平気でやらかすのである。3ケタの数字が数えられないってどんだけだ。または20mくらい測れる大きな巻尺だと、メートル・センチ・ミリが頭の中で混在することになる。

こういうのがパッと見で読めない。7メートルと1センチと8ミリだからぁ、1センチと8ミリは18ミリでぇ、7メートルってミリにするとゼロいくつだ? と一瞬考えないと判らない。仕事で使うのでしょっちゅうこんな機会があるのだが何度やっても慣れない。得意な人は考えなくても当たり前に読めるらしい。意味が判らない。(逆ギレ)こう書いていて自分のバカさ加減が厭になってきた‥‥それでも数字も多く扱う仕事をしているのだから人生とは判らないものである。
ところでつい図まで用意してしまったが、この項でつまびらかにしたいのは自らのバカさ加減ではなかった。かように無計画なのである。
無計画なままこのブログも10周年を迎えた。先のことなど判らないし、やれるときに力いっぱいやっておくとそれが貯金になるかもしれない、なんていう行き当たりばったり方針で生きてきたので、ブログに工作物を載せて日記を更新するのは何故なのかと考え出すと困惑するのである。人気者になりたいのかといえば、そらまあ人には嫌われるよりは好かれたほうが嬉しいし、褒められれば単純に気分がいい。しかしそれよりも友達100人もいらないヒキコモリ型なもので、そっちのヘタレ気質のほうが優先されるかな。ダメ人間のダメたる所以である。だってただでさえ努力と結果は等価交換ではないものを、中身が伴わないまま単なるツールに一発逆転期待したって無駄だろ。ダメなくせに変なところは冷静なのである。
始めたころはブログサービス自体が海のものとも山のものともしれなかったら、明確に何かを目標にして手段にできるほど安定してなかったし、『なんか面白そう』以上の動機は持ちようがなかったよ。サービスのつくりも今より不親切で、HTMLを覚えて手打ちしたりして楽しかったな。学習する、開拓する、そういうのが楽しいと思うのはそれほどおかしなことだろうか。特に明確な目標などなくやって楽しいからやることを、人は道楽と呼ぶ。それがそのまま10年続いているだけである。このへんは進歩ない。
この10年でいろいろあったな。変遷を辿りだすとキリがない。もう正直自分の過去ログも見たくないのでほとんど読んでいない。思い出すだけで疲れる。きっとこの先も疲れる10年なんだろう。そういう星回りなんだともう諦めている。願わくばせめて何某かの成果が残る疲れ方であらんことを祈る。