時代を作るヒト

就活問題が盛り上がっているようですね。
あちこち拾い読みしてみると、自分たちの頃とはまさに隔世の感がある。
ちなみに私はいわゆる団塊の世代ジュニアで、ベビーブーム真っ盛り。マンモス学級が当たり前で、教師と生徒の数の比率が非常に開いていたため、担任の教諭がいじめられっこのケアをするなんて、そんな暇はどこにもない!時代に育った。
大学のランクによって、与えられる就活情報が違うと。教えられることだけではなく、自分で情報を取りに行く人間じゃないと、仕事(金)にならないと。
・・・・ええ? 当たり前やん。何でそんなことが話題になるんだろう。そっちのほうが不思議だ。ネームバリューのある人は大変だなぁ。ちょっと変なことを言うと、すぐ突かれる。
つか、採用する側としては、説明しなくても「そういう基準もあるな」ぐらいには、自分なりに構造を理解してくれる人材じゃないと、採りたくないんじゃなかろうか・・・・私が採用担当なら、そう思うが。
企業側の問題提起としては、それくらいは考えられる人材を、学校名に拠らず振り分けるには、どうしたらいいかってことだ。だから試用期間やインターン制度を設けてみた。でもなんだかうまく機能しない。早くも形骸化して形は残るけど実効性がない。
それはさぁ、ちょっと理想論に近いところにあるのが問題なんじゃないかなぁ。
少人数の企業なら趣旨を説明して判断させることは出来るだろうけど、集団が大きくなればなるほどヒトは蟻んこ化するし、特にトップダウン型だと、一個の歯車にとってはとにかく「回る」が重要で「それでどうなる」は二の次になるんじゃないか。
ただ地道に回る人材も必要だし、場合によってはそれが一番重要だったりもすることにも気づいていて、その両方の人材をどうにかうまく採用できるシステムはないものかと、模索しているわけだ。
うまい話だなぁ。でもそれができれば、教育論のその先を行くのか。