樽でいいよ、樽で。

私は元来が怠け者で、あまり前向きな人間ではない。営業努力とか自己PRとか、とにかく自分に好意を持ってもらうために他人の気持ちを動かす活動というものが、億劫で仕方ない。それどころか、負け組? それがどうした、悪く思いたきゃー勝手に思え、そういうアンタは何様なのさ、と我が振りを直さず他人を攻撃するタチの悪さがある。自分に関する厭な噂が耳に入っても、他人の考えを変えさせることの不毛さにうんざりするし、なにより面倒臭いので、悪口を言う人ばかりじゃないさと根拠はなくても無理矢理楽観することにしている。
そういう態度は生活全般に及んでいて、お陰で友人は少ないし、仕事面でもガッツで努力して他人に認めてもらう、なんていうのがとても不得手だ。だから営業や水商売はやりたくない部類の職種に入る。
お金は普通に生きていくのに困らない程度でいいし、ブランド物には興味がないし、世の中を変えようなんて気概はまったくない。また最盛期の堀江氏のようになりたいかといえば、そんなのは頼まれてもふるふるご免だ。よーやるなー、と適当なことを言いながら、テレビのこちら側で発泡酒を飲む方がいい。淡々と、たまに好きなことをして暮らしていければいいのだ。


確かにそのために必要な努力は一応ピンポイントでやった。
年収が二百万円を超えるようになったのは、去年ぐらいからだ。それまでは井戸の底にいた。石組みの隙間に指先を突っ込んで、たまにズリ落ちながら這い上がった。
そうして生爪をはがしたりしなきゃ「普通の生活」が手に入らないというのも切ない話だが、貧乏生活もやりようによってはサバイバル感覚が身につくし面白おかしいものだ。まあ、消費サイクルには参加できないが、生産とリサイクルを主眼にすえれば、また違った趣がある。もっとも、現金を持たないので身だしなみは夏は猥褻物陳列には当たらないという程度、冬は凍えなければ良しという必要最低限だし、外食するときは他人にたかる以外に選択肢がないので、他人からどう思われてもいい、友人が減っても構わないという強靭な精神力が必要だが。


乞食と銀行屋は三日やったらやめられないというが、どっちもそれなりの心構えは必要だ。私にはそれがなかったから、やめたのだ。