キシャー

大鎌を振り上げて威嚇する余裕もない。会社に奉公する身としてはそれが本来の姿なのかもしれんが、ここんとこ暇で楽してたもんで、急にやることが増えると慌てて無駄な動きが多くなる。
昨日は川崎まで映画を観に行ったわけだが、あそこらへんは駅前に三つくらい映画館があって、しかもみんなシネコンなのでチネチッタだの109だのいわれても、何処がどれなのかいまひとつ判別がつかない。今日はチネチッタだから云々という話を振られてもよく判らないし判ろうとすること自体を既に諦めているので、うんうんと生返事をして勘違いしたまま反対方向へ歩き出そうとする。もう記憶領域の残りが少ないのであまり興味のないことにはスペースを割けないのだ。なるほど、母がビデオデッキの録画予約のしかたをどうしても覚えなかったのはこういうことかと、いまにして合点がいく。
しかしもう何も覚えないと宣言するわけにもいかないのが、資格試験の季節がやって参りましたということなのだが、はぁぁどうしよ。試験勉強か。そろそろ本腰入れた方がいい時期なのは判っているが、毎度のことで面倒臭い。私のいる業界はいろいろ資格がないと仕事にならないという側面があり、実に多岐にわたる細かい資格が各種取り揃えられて目白押しに充実している。仕事に少しでも関係のある資格を硬軟取り混ぜて毎年一個ずつ取得していくというのを趣味にしたら、たぶんやろうと思えば生涯就業期間が二十五年だとしても賄えそうな勢いである。実際はアレ持ってる人コレ持ってる人と持ち寄ってひとつの仕事に必要な資格保持者を揃えるので、難易度の高い資格を持っているほど重宝されるというわけだ。そういう環境なのでペーパーテストのための詰め込みなどはある程度慣れているものの、これがまさしくテクニックと両輪で試験が終わったら普段使わない知識なんてきれいさっぱり忘れてるなんてザラである。溶接棒の種類なんて覚えてねーよ、ガハハ。
ある業界の基礎知識を得るのに資格試験の勉強をするというのは有効だとは思う。実際のところ細かい仕様は忘れてもアウトラインは頭に残るし、こういう法律がありますよということなどを知っておくのは輪郭を理解するうえで役に立つ。そんなわけで広範な知識がないと取得できない資格を持っていないと仕事にならんのは、制度上有効な気はしている。
ただやっぱり資格よりは経験なんだよな。技術者の中にはやっぱり勉強嫌いの人もいて、そういう人は仕事が出来ないかというと全然そんなことはなくて、経験でバリバリやっているし誰も敵わなかったりするのだ。勉強は直接技術には結びつかないが、経験はそのまま技術になりうる。資格はあくまでプラスアルファでしかないし、本質はそんなところにはないのだよなぁ。