映画:ハート・ロッカー(監督:キャスリン・ビグロー)

ストーリーらしいストーリーはなく、ただ毎日爆弾を処理する米兵のエピソードを積み重ねていくように見えたが、やはりそこにはゆるい流れがあった。
冒頭で防爆スーツを着込んだ兵士があっさり死んでしまう。そこへ欠員補充でやってきた新たな爆弾処理担当ウィリアム二等軍曹が問題の男である。命知らずで、危ないことを進んでやりたがる壊れた男。
映画の初めに『戦争は麻薬である』というテロップが入ったが、生命の危機を感じると人間は脳内麻薬を出し、意識を活性化して危険を回避しようとする。その脳内麻薬はコカインやヘロインなど、外から注入するドラッグよりも強烈なのだという。ウィリアムはその痺れるような快感の中毒になっていたのだろう。しかし同じ班に配属され、彼を班長にして行動を共にするサンボーン軍曹とエルドリッチ技術兵にしてみれば、そんな理由でとばっちりを受けるのでは堪ったものではない。
まともな人間は生命を危険に晒す状況からはできるだけ離れたいと感じる。当たり前のことである。エルドリッチは通常任務から若干逸脱した作戦行動中に大怪我をして戦線を離れることになるが、輸送のヘリに乗る間際、ここを先途とばかりに上官であるウィリアムに『お前のせいだ!』と罵倒を浴びせる。本当に冗談じゃないのだ。ロマンも名誉もクソもない、死んでしまったらシャレにならない。サンボーンもウィリアムの手腕に従いながら、やはり無茶な言動に巻き込まれることには抵抗を隠さない。
死ぬのは厭だ、爆弾は怖い。厭なのも怖いのも当たり前だ。しかしウィリアムは『これが爆発したら防爆スーツを着ていてもどうせ死ぬ』と言って、大量の爆弾の前であっさりスーツを脱ぎ捨ててしまったりする。ギリギリの緊張がみなぎる綱渡りが続き、どんどん神経が疲弊していく。脳内麻薬にひたっているウィリアムとて、実は同じなのだろう。そう思わせたのが、現地の子供・ベッカムのエピソードである。
見慣れない他人種の顔は個人の見分けがつきにくい。まして、生きて動いて笑いかけてくる顔と、血まみれで死んでいる顔とでは印象ががらりと変わる。しかしウィリアムは兵士である。これまでもおそらく数多くの死体を見てきただろう。本人も自分の判断に自信があったはずだ。だから行動を起こした。それなのにそれが根本から間違っていたと知ったときの、ウィリアムの呆然としたうつろな表情が印象的である。人はおかしくなってくると認知力が落ちる。彼は自身の狂気の影にぞっとしたのだろう。自分の目すら信じられなくなる極限状態は、やはりまともとはいえない。
生命を的に不断の緊張を強いられる現場、異常な状態に置かれた人間、その姿をストレートに伝えてくる映画であった。


アメリカで起きた同時多発テロが2001年。ブッシュ大統領イラク、イラン、朝鮮民主主義人民共和国大量破壊兵器保有するテロ国家・悪の枢軸と発言したのが2002年。国際連合安全保障理事会の決議によりイラクには査察が入ったが、大量破壊兵器を見つけることは出来なかった。そして2003年、アメリカはイラクに対し、先制攻撃を仕掛けた。この映画は2004年、『戦闘終結宣言』が発表されてなお、反米武装勢力とのファルージャの戦闘があり、その後も過激派によるテロ行為が頻発していた時期に、イラン国内の治安維持活動を行っていたアメリカ軍の爆弾処理班を描いたものである。