映画:イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ(監督:バンクシー)


バンクシーの名前は聞いたことがある。
美術の世界というのはやたらややこしくて、しかも語り尽くされているので、素養のない私には恥ずかしくて下手なことが言えない。物を作ったり絵を描いたりするのは好きだが、それは自分の欲しい物を好き勝手にデザインしたり、単純に製作過程が興味深かったり、思いつきを実際に並べてみたときの取り合わせの妙や効果が面白いからであって、決して小難しい理論や歴史的価値のために手を動かすわけではない。もっと単純なものなのだ。そりゃもちろん、何を楽しいと思うかどんな物が好きかにその人の思想は表れているかもしれない。でもそれは後付けの解釈であって、作っている間はそんなことは考えていない。少なくとも私は、だが。
バンクシーの絵がカッコいいのは、デッサンがしっかりしていて上手いのと、絵の雰囲気と技法が絶妙に合っていること。そして遊び心が横溢していることだ。ときに危険なほど。まあ、私のアートの見方なんてこんなものだ。
何かを作るときというのは『こんなん面白いんじゃね?』という単純な遊びが原動力なんではなかろうか。そしてそれがどれだけクールかがキモなのだ。そういう意味でバンクシーのグラフティは文句なしにクールだしカッコいい。
好いものには対価が発生するのは自然な流れで、街の落書きという一過性のものであることが運命づけられたアートにも、やがて名声や値段がついて回るようになる。それを受け持つのは現代アートという口が勝てば官軍で魑魅魍魎が跋扈するようなわけの判らない既存システムである。それしかないんだから仕方ない。プロデュースやマーケティングなんていう胡散臭いカタカナ用語が幅をきかせ始めるのもここら辺からである。
さて問題のMBWだが、ホントにこの人物がいるのかどうか議論が喧しいようだが、そのへんは正直どうでもいい。MBWがもし嘘んこでも、実際にそういうヤツっているよな! てことだ。看板を上げるのだけは上手くて、人のもんを掠め取って利用して自分を売り込むハエ野郎。なにがクールかも判らねぇから、自分がなにしてるのかすら気づかねぇ。
しかしそういうタイプが生きる道はないのかというと、それこそプロデュース業なんかは向いてるんじゃないかと思うんだよな。しかも辣腕を振るう逸材かもしれない。でも自分が何者なのか判ってなかったのか、自らがアーチストの称号を得たいという欲望に勝てなかったのか。二重三重にダサいという身につまされる恐ろしい話なんである。


現代アートの市場というのはどうしようもないほど胡散臭い。商業的な規模が大きいために有象無象が寄ってくる。理屈をでっち上げ周りを丸め込むことができればどんなものでも売れるようなところがある。でもそれって作品とは関係ないんじゃないのか。
なにがカッコ良いかってのは基準を決められるもんじゃない。だから怪しい怪しくないの線引きが難しい。売り物は品質基準を明確にするのが難しい美術品。価値は人の感性ではかるしかない。そこにつけこんだ商売上手が入り込んだとしても、うまく歯止めをかけることが出来ない。アート業界の宿痾なんだろう。
ただバンクシーにとってはそんなの自明のことだったのだ。クールかクールでないか、大事なことはそれだけなのだ。こんなMBWはクールかい? 答えは決まってる。どれだけ金銭的に成功しようが、そんなのは関係ない。もっとも、なにを言われているのかこれでも本人には判らないかもしれないけどな。そんな声が聞こえてくるようだ。
どこまでもクールである。