いろいろ含む春の風

風は冷たいものの、力を取り戻しつつある陽射しは間違いなく春である。それとともに空気はいがらっぽさを増し、現在、目鼻口から咽喉・耳にかけての粘膜がチリチリと不穏な反応を示し、腹調子まで悪くなる。何の花粉だか黄砂だか粉塵だかしらないが、この季節特有のアレルゲンが浮遊しているのは疑うべくもない。口蓋から唇まで赤く腫れ、この時期の私はグロスを塗らなくともぷっくりセクシーなく・ち・び・る♪である。もっとも、なにもしなくとも血が滲むので別の意味でリップクリームが手放せないが。
そしてここ2〜3日なにをしても面白くなくやる気が起きなかったのは、アレルギーのせいということにしておこう。全身これ腫れ物になるので、だりぃんである。
しかし風は柔らかく水温み、季節は確実に活動期に向かっていく。だるさと活力が鬩ぎあう。ダルいのツラいのとぼやいても、やっぱり次に進めば楽しいことが待っている気がしてくる。


生まれたときからアレルギー体質で体調が気難しく睡眠時間も長いほう。エンジンがかかるのも遅く、短い活動時間は一日の後半に集中する。おそらく他人から見たらグズグズのぐーたらで『結局なにも出来ないタイプ』に見えるんだろうな。
確かに朝型の人に合わせると、午前中は起されても動かずお昼からちょこっと活動したらもう夕飯の時間で、その後はなにもしないくつろぎタイムということになってしまう。これでは日々の用事も済ませられない。
何の予定もないひとりの休日にはどういう生態になっているかというと、何時だろうと起きたらだらだら切れ目なく家事をしてそれが終わったら、用事や準備があれば時間に関わらず外へ出て済ませ、帰宅してから寝るまでがとにかく工作その他の活動時間となる。時間や外が明るいか暗いかはあまり関係ない。完全に物事の必要性や進行状況のほうが優先である。そして腹が減り疲れもしたら飯を喰い風呂に入り、また続きをする。終わったら酒を飲む。
まるきりダメ人間の見本のようだが、実はそのような自覚はない。むしろ社会人として家事や用事を優先しているだけマシだと思っている。ときどきなにもかも放り出したくなって、本当に放棄することもある。それでもなんとかなるものだ。そして若い頃こそ時計を見て「もうこんな時間」などと〆切りもないのに意味もなく焦ったものだが、いまさら何時に何をしようが良心の呵責も覚えない。とにかく終わるまでやればいいのだ。
一応、対外的な名誉のためにいっておくと、家族を含め親戚一同は慣例・慣習に照らしてもうちょっとまともな人間である。特に母は朝型で実家にいるころはとかく厳しく小言をくらったものだが、生まれついての性向というのはどんなに撓めても元に戻ってしまうものなのだな。いまとなってはそんな呪縛からも自由になれ、自分に適した活動時間を確保できて嬉しい限りだ。しかしだからといって他人も同じようにすべきだとはこれっぽっちも思わん。無意味だ。