読了:『夜と霧 新版』ヴィクトール・E・フランクル

夜と霧 新版

夜と霧 新版

ナチス強制収容所に入れられた精神科医の回想録である。
わりと薄い本でもあり、そこで何が行われていたのか詳しい告発は他でなされているからと、この本では段階ごとの精神医学的見地のメモのような記述と、それに纏わるかいつまんだ逸話の紹介にとどまっている。淡々と時々の感情や心理状態を語られると、却って頭に冷や汗をかくような恐ろしさがある。あまりに酷い体験をすると、ひとは離人症的になることがある。
収容所に送られる汽車の中での心理状態、着いてから裸に剥かれてすべてを取り上げられる過程。右に行くか左に行くかだけの違いで無造作に生死を振り分けられる。生き残ったのは単に運が良かっただけ。次はどうなるか判らない。劣悪な扱いに徐々に気力を失い、感覚を鈍磨させて日々を生き延びることだけを考えるようになる。感受性を鈍らせることで自我を守る防衛機能なのだろう。そんな人として崖っぷちに追い込まれてさえ、心に思い浮かべる最愛の妻だけが生きる支えだったという告白が衝撃的であった。陳腐なお涙頂戴ではなく、心だけは奪えないというのはこういうことなのかと打ちのめされる。その愛妻も同時に捕まって別の収容所へ送られている。生死すら判らない。しかし妻が生きていなければ、思い浮かべただけで限界まで乾いた心にもたらされる平安には意味がないのか。愛とは何か。気高さとは何か。人間と動物の違いは何なのか。
人はどんなひどい状況にも際限なく慣れることができるし、そしてどんな場合でも冗談をひねり出す。そうして心の均衡を守るのだという。
まるで特殊な環境にあって悟りを啓いてしまったひとの語りを拝聴しているようだった。
やがて戦争が終わり、鉄条網が開かれ監視がいなくなり強制収容所は突然捨て置かれる。何年にもわたりあまりに徹底的に縛り上げられ絞り尽くされていたため、心が死んだようになっていた著者は、はじめのうち自由を実感できなかったという。