映画:ローマ法王の休日(監督:ナンニ・モレッティ)


前法王が逝去し、しきたり通りのコンクラーベで新たに新法王が選出された。しかし選ばれた当人はその責任と重圧に耐えられず、逃げ出してしまう。
最後のオチで呆気にとられて口がポカーンと開いてしまった。しかしよく考えてみると聖職者のみんながみんな神に求められている通り「慎み深く驕らず決して怒らず右の頬を打たれたら左の頬を差し出す」ような人物だったら、ああなるのは必然なんじゃないか。
カトリック教会というのは仄聞によるとけっこう泥臭いものであるらしい。中世くらいから連綿と力を蓄えてきたバチカンの頂点ともなれば、国境を越えた権力を持つことになる。しかし法王が象徴とはいえカトリック教会は他に類を見ないほどの巨大組織なわけで、多くはシステムによって維持・運営されるんであろう。責任と重圧がのしかかるといっても枢機卿になるほどの人物がコンクラーベで「自分が選ばれませんよーに」なんて祈るかというと、そんなわきゃないわけで、ここでそういうノリに気付くべきだった。うもー。
法皇様といえば神の代理人で偉い人だけども、公表される直前に逃げ出したので外の世界の人は彼が現法王とは知らない。神の代理人ともなれば初対面の人でもひと目で判るような問答無用のオーラが出ていてひれ伏してもらえるかというと当然そんなことはないわけで、普通のお年寄りと同じようにつっけんどんにされたり親切にされたりする。そんなもんである。そういうところは妙にドライで、法王庁の中での物々しい扱いとの対比にくすりとくる。
途中で挿入されるチェーホフの「かもめ」については実はよく判らなかった。人は変わる、時間が経てばなにもかも変わっていくというのを台詞を諳んじることで言いたかったのかな。