意思の残滓

懲りずに体力増強とダイエット目的で生活改善を試みているのである。
毎日残業から帰って夕飯を食べたら、もう一歩も動きたくないほど疲れている。ある程度は加齢のせいとはいえ、まだあと20年は働かなきゃいけない身の上で老け込むにはちと早い。ぶくぶく太るのも体力がないのも肩が凝るのも、端的に運動不足なのだよな。判っちゃいるのである。
さてでは拘束時間が一日の半分を越えるのがザラな半社畜生活でどこに運動を捻じ込むか。動かせない就業時間を考慮して、一日は24時間ではなく12時間程度として設計する。こうなってくると睡眠と運動の両天秤である。
実は既に通勤の帰りは1時間ほど歩いて帰っている。それでも体重は減らないし体力的にも大した効果もない。しかしだからといって更に運動する時間は確保できないし続きやしない。仕方ないので朝も歩くことにする。往復で2時間のウォーキングである。なまじスポーツ体形なので生半可なことでは誤差の範囲として吸収されてしまう己の体質が恨めしい。それなのになんでスタミナがないのか自分でも解せない。何故だ。
時間の塊をざっくり分けると、まず大きいのが睡眠時間である。12時間のうち半分ちょっとは寝ていなければもたない。残りの5〜6時間で日常生活のすべてを賄わねばならないということになる。
諸々の時間と気力を確保するために、夜は前述の通り疲れはてて動けないからにはと、ここにきて禁断の朝型へシフトすることを考え始める。私は朝がとにかく弱い。赤ん坊の頃から寝坊助だったと母親に回顧される程度には筋金入りである。いまでも目覚ましは時間差で3種類は必須だ。だが年寄りは早寝早起きになるというじゃないか。ここらでどうだ、試してみたら早朝でも起きられたりするんじゃないのか、と淡い期待を抱いたのである。
それならばととりいだしたるは前々から使っていたiphoneアプリの「Sleep Cycle」である。要は目覚ましアプリなのだが、これが標準装備の加速度センサーにて寝返りの頻度を計測することにより眠りの深浅を推し量る機能付なのである。記録された過去のグラフを呼び出し、見比べてみる。




バラつきはあるが、こうしてみると午前5時前後に寝返りをよく打っているようである。早起きするならここが狙い目か。よし、余裕を持って起床は5時半、そうして夜にしていた諸々の半分を朝に回そう。


で、やってみた。
いや、無理。さすがに1日2時間も歩けば運動にはなるようでなんとなく身体のキレは戻ってきた。けっこうしんどいが目的のために負荷をかけているわけだから肉体的にキツいのはいい。しかし一番のネックは、計画通りに帰れないことである。5時半に起きるには23時くらいには寝たいところだが、21時まで会社にいたらまあ無理である。20時退勤でもそこから1時間歩くと厳しい。
うん、そうだよね。始める前からなんとなく判ってた。これは無理だなって。それでもやってみちゃうのは、とどのつまりルーチンな生活の退屈しのぎなんだよね。ワイドショーやみのもんたに踊らされるおばさん像ってあるけど、ああいうのと一緒なのよね。
ま、できるとこだけぼちぼちやりまひょといういつものパターンに落ち着くのだった。