『存在の耐えられない軽さ』ミラン クンデラ

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

序盤の「だが、本当に重さは恐ろしく、軽さは美しいのだろうか?」という一文が主題なのだろう。ニーチェの立ち位置について一席ぶつところから始まって、一組のカップルの誕生から死がふたりを分かつ(分けてないけど)までを、周りを巻き込みながらひたすらシニカルに描き出している。人生は不可逆で一度しかない。その間に起こるモチーフはぶっつけ本番で、繰り返すことはない。重大な物事というのは繰り返されて強化されるもので、だから人の一生は取るに足らないものなのである。というわけだが、なんとなく言いたいことは判るけど、西洋は面倒くせぇなぁ、と目が泳ぎそうになった。冒頭からこれだったので、最後まで物語に寄り添う気持ちで読めたかというと、それは難しかったといわざるを得ない。
中心となるのははたから見たら大恋愛で結ばれたカップルである。それぞれの生い立ちから現在の心情の裏の裏まで解剖しつまびらかにしてみせるのだが、これが感情とは脳内分泌物の配合の問題である、というのと同じくらい言わずもがなのことのような気がしてならないのだった。そうやって見ていると誰も幸せではないようで気が滅入ってくる。寒々しく突き放して悦にいるのがクールなのだろうか。
若気の至りで仏教に凝ったときにも思ったのだけど、天文学的に引いてみるとどんなことでも取るに足らないことになる。事件の重大さ加減を棒グラフにしたとして、ゲージを無限大に拡大すれば人の生死どころか戦争も虐殺もヤマなど見えなくなる。目の前のことで苦しんでも喜んでも所詮は無意味だ。“ただそのようにある”という視点は宗教的な救いでもあるのだけど、突き詰めると周りはおろか悩んでいる自分すら希薄になって真空の孤独にぽっかり浮かんでいる一粒の泡でしかなくなってしまう。しかし人間として生まれその生を生きているというのはそういうことなのだろうか。文学にはその先を求めたいな。