なんかしたい

どうも近ごろはなんでも「どうでもいい」と思う癖がついてしまっている。それなりに生きてると何が正常でなにが正義なのか二元論では説明しきれないほうが多いということが経験的に判ってくる。誰かにとっての気持ちの良さは他の誰かにとって我慢であったりもする。某か事があっても知らされていない事情があるのかもしれず、そうすると早計に考えを固めてぶつけることにも躊躇が生まれる。しかし凡てを知ることはできない以上、よく判らない事柄については判断を恒久的に留保せざるを得ない。藪の中というやつである。こうしてみると突き詰めれば世の中の大半は他人事で、私が許したり許さなかったり強く主張することでもないんじゃないか。何かを思うことがなければ怒りもしないし哀しくもならない。いろんなことに拘りがなくなり、ますますアッパラパーになっていくのである。
そうこうするうちになんだか無気力になり物忘れが酷くなってきた気がする。何かを作ろうという気力も欲も湧かない。感情も動かしていないと脳の活動にも影響があるのかもしれない。君子ぶるのも善し悪しか。んじゃあ、これからは怒りっぽくギスギスした方針でいくかと転換しようとしたら、ちょっと待て、既にそういうキャラなんじゃないか。ここまで考えてよく判らなくなったのである。私はいったい何がしたいのか。
結論からいうとなにをするにも気力が湧かないのに困っている。気力が湧かないので仕事のほかに絵を描いたり物を作ったりする余裕がない。読書もしているが続かない。ないない尽くしだが退屈だけは感じる。いまは残業もそこそこで時間がないわけでもないのだ。やろうと思えば捻り出せる。やりたいこともある。
養命酒の出番だろうか。と思いつつ取引先の業者さんと四方山話をしていたら、青汁を勧められた。