やっと休み

なんだか忙しい。水難に見舞われてトラブル続きの現場だったが、兎にも角にも機械は大きな図体を震わせて動き出した。しかし予後もどうも芳しくなく無事に終わるんだかどうだかよちよち綱渡りしているところである。そこへ遠出の予定があり空を飛んで数日を過ごし、帰るなり行事が入り込み、かてて加えて身内の不幸が重なった。しっちゃかめっちゃかである。こうなると腹を括るしかない。明けない夜はない。それにしても1週間で移動距離はガツンと伸びたが、財布の中身もかなりのダメージを受け青息吐息なのだった。
このごろ自分が映った映像を見る機会があって、セルフイメージとは裏腹に見た目は随分女性らしいものなのだなと意外だった。肩の線のまろみや仕草など、別にぶりっ子しなくても自然に女になっている。中身は相変わらず鬼軍曹で、ぶっきらぼうに振舞っているつもりなのだが、実際の見た目が裏切っている。それが衝撃でもあったのだが、いままで他人から受けた腑に落ちない対応やら扱いが、急にストンと納得できたのだった。あー、こういう感じかナルホドね、と。
それにしても普段の姿を自らの目で見ることができないというのは面白いよな。本人なのにどうなってるのか一番見えないのが自分なのである。キメの場面でも確認できないからおっかなびっくりにもなるし、どうせ判らんのだからもういいやと開き直りもする。写真や映像に撮られたのを観るのが好きな人がいるけども、あれはナルシストなだけじゃなくて単に見慣れない自分が物珍しくて面白いからなのかもしれない。
中身と外見の齟齬の狭間。世界が無言で要求してくることと、自分の目指す方向が違っていると、なんだか愉快な気分になってくるのだった。無理して要求に応えねばならぬわけでもないだろし。四十過ぎたら自分の顔に責任を持てと云われるけども、こうしてみると責任持ててないな。軸のずれた舵を握っているようで、運転する楽しさみたいなものはある。感情と物理は直結しない。ピンとこなくとも理屈は理屈なのである。面白い。