美容院に行っていた

前回行ったのいつだっけ、と毎回思う。ちなみに今回は年末ぶりである。いつもの美容師さんが元のお店の閉店を機に独立したのでそちらへお邪魔した。開店してから何か月かたっているはずだけど、まだ内装の白木の匂いがする。新築の匂いっていいわねぇ。都合により今回は色だけ入れてもらったので、今月中にもう1回行ってトリートメントしてパーマをあてるのが目標。できるかな。
修羅場の緊張から急に解放されるとどうしていいのか判らなくなる。心の臨戦態勢が解けず、あれやってこれやって次なに?! とやることを探してしまう。しかしやることはもうないのでなんだか物足りなくて不安定になるのである。阿呆である。別の意味でもっとアホアホになっていい。しかしそれまでが生き馬の目をブチブチと抜き合うような状況だったので気を抜くのが不安なのである。こういうときはいちいち噛んで含めるように「もう大丈夫」と自分に言い聞かせねばならない。不便なものである。現場が終わったら自動的にリラックスしてくれればいいのに。こうした内部齟齬を理性と感情とでもいうのか、交感神経と副交感神経の違いというか、感知しなくとも勝手に動いているのでときどき自分の中に他者がいるような気がするときがある。不安を醸し出しているのは感じるのでまぎれもなく自己の一部なのだけど、意識的に構ってやって落ち着かせたりコントロールしなければならない。
もう諦めてこのごろは心の中に半野良の犬を飼っているんだと思うことにしている。平時は放っておいても勝手にしているが、飼っている責任はあって適度に気にしてやらなければならない。ときどきこの犬が夢に出てくる。その時によってまわりで嬉しそうに飛び跳ねていたり、丸くなって寝ていたり、崩れた家の中に閉じ込められて困っていたりする。イメージはシェパードのような大型犬で基本的にアホである。弱ると両の掌に載るほど小さくなったりするのが便利なところだ。ところで夢に出てくる風景は心理状態を表すというが、犬の夢の背景はたいてい緑の少ない貧相な集落だったりブロック造の粗末な小屋だったり総じて貧しい感じがするので、きっと心も整備されてなくて貧しいんだなぁ、と納得している。