伝奇集(J.L.ボルヘス)

伝奇集 (岩波文庫)

伝奇集 (岩波文庫)

ボルヘスという人は頭が良くて真面目な人だったんだろうなぁ、というのが第一印象である。構造とか図形とかそういう方面に遊んでいるが、人間社会だとか人間性そのものはまったく触れてこない。エモーショナルなものがほぼなくて、ひたすらストイックに構造の妙を面白がっているので、非常に読みにくい。
例えばの話だが、意味のない文字の羅列を読むのは苦行でしかないだろう。作中の『バベルの図書館』に出てくる一見して文意の分からない本などは、研究対象にはなっても読み物ではありえない。無味乾燥な科学記事でも内容は難しくとも「本当にあった凄いこと」をネタにしているので、自らの中に興味を湧き立たせて読むことができる。しかしそれが適当な虚偽だったらどうか。他人の書いた文章というのはどんな種類であれ興味という情動に引き摺られなければ、先へ進むには大変な労苦を伴うものだ。
一方で人は全体を俯瞰してみて改めてパズルを解くという知的な楽しみ方も出来る。ピースを吟味し、意味を当て嵌め、読み解く。小説を楽しむには大なり小なりそうした作業も必要になる。
読むという行為には、目先の興味関心と全体的な構造の把握というふたつの楽しみ方があるわけだ。目先の興味にのみ終始したものを最近では感情ポルノと呼称する辛辣な評価もあるというのは余談だが、この伝奇集は逆にほぼ知的パズルに終始しているといえる。普通の小説っぽいつくりの短編もいくつか入ってるけど、多くは観念の上に観念を乗っけて概念を創出するような、どちらかといえば脳の図形分野を刺激されるような感じだ。
のっけから「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」でエッセイ風味の文章が始まり、自分が何を読んでいるのか判らなくなる。架空の惑星を作り出す秘密組織の話という荒唐無稽な輪郭が見えてくれば、それを真面目くさった顔で描き出すおかしみにも思い至るのだが、判るまではとにかくちんぷんかんぷんである。はじめの3篇まではボルヘス人間性に触れる洗礼だと思って辛抱して読むしかないのではなかろうか。本当にドン・キホーテを新たに書き直すとはなんなのか。情動抜きにそこらへんだけを面白がるには準備運動が必要だろう。
それにしてもボルヘスの簡潔さは驚くべきもので、短編のそれぞれは短いのにいちいち引っかかるし中身も濃い。ひとつひとつ感想を書こうとすればなんだかふやけて水増ししたようなものにならざるを得なくなる。そうして苦労して呑み下し、最後を飾る『南部』に辿り着いて読み終わってみると、どんな経路を辿ったどんな人間であれ畢竟最後を飾るのは逃れられない死しかないわけで、なんだかしてやられたような気分になるのである。