レイジーさんのこと

今月上旬にレイジーさんが亡くなられたという報せがあった。ここ数年、癌で闘病中だったのはご本人にお聞きしていた。

最初の乳がんでの治療が終わった後にお会いしたとき、「(抗がん剤治療が)本当にキツくてこの年でこんなの我慢するのはもうイヤだ」「再発したら治療しない」などと言ってたのを思い出す。なんていうか、そういう人だったのだ。そういうことを言って頑として譲らない。本当に困ったお人だ。とはいえ、本当に治療を拒んだわけではなかったようなのは、mixiの日記を通してときどき拝見していた。

私にとってレイジーさんとは、いわゆる「都会の女」だった。私自身は生まれも育ちも東北の、関東に出るつもりもなかったのが何故かたまたま流れ着いてしまった山出しである。コンプレックスやヒガミではなく、事実としてそうなのだ。テレビにしろネットにしろ、画面を通して眺める景色は遠い世界を写したもので、身近なものではないという感覚が染みついている。そこへきてレイジーさんは美大を出てテキスタイルやらそっちの方を生業とし、若い頃はライブハウスに通い暴言を吐いた相手が今思えばあれは内田裕也だったとか、そんなエピソードの持ち主で、私は「わあ、ドラマみたいな話が身近なんだな」と感じていたのだ。ドラマ=画面の向こう側という、地方出身の人ならニュアンスが通じるだろうか。未だに目黒通りの車線の狭さに閉口しながら「なんで私はこんなところを運転してるんだ」と思ったりする。人生とは不思議なものである。

話が逸れたが、都会とは文化的という意味でもある。レイジーさんはけっこう年上だったはずだが、ブリティッシュロックを愛し、チェーンソーを振り回し、面白いもの楽しいものを探求する好奇心に満ちた人だった。いろんなものの垣根が低いというのだろうか。鼻持ちならない若造である私を尊重してくれて、細かいことは書かないが、何度か「この人には敵わないな」と思ったこともあった。そういえば私が作ったものをいつも面白がってくれて「もっと作れ」と言ってくれたこともあったっけ。

正直にいうと泣きながらこれを書いているのだが、自分でも意外なほど寂しい。ああレイジーさん、寂しいなぁ。でもまあ、私もいつかはそっちへ行くのだ。もう少し頑張ってネタを作るから、そっちで会ったらまたはてダ隊で美味しいものを食べながら話そう 

 

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