死ぬまでにやりたい100のこと

黙祷。

 

さて、よくあるライフハックに「死ぬまでにやりたい100のこと」をリストアップするというのがある。欲望を具体的かつ明確にすることでやりたいと思いつつ日常生活のぬるま湯に浸ってずるずると先延ばしにしてしまうのを止めて1歩踏み出しましょうという前向きな指南なのだろう。

若い頃はまだ時間があると思っていたし将来を見据えて生活を維持するのに必死だったのでそれどころではなかったのだが、そろそろ中年を越して先が見えてきた身として、終活としての100のことを考えてみたらどうだろう。たぶん動けるのは70代まで。とするとあと20年である。それまでに100のことを実行するとしたら年に5個、2か月半にひとつは達成しないと間に合わない。この先何年生きるか、こればっかりは誰にもわからないけども、思い返してみると若い頃はそれなりに大変だったわけで、ここらへんでやりたい放題してもいいんじゃないか。ハタからみるとかなり自由に生きているように見えるらしいので「今よりもっとか!」と突っ込まれそうだが、本人視点では人生の荒波に翻弄されてその時々で溺れないように必死に犬掻きしていたらこうなっただけである。これでも多少は我慢してるんだよ。

そんでやりたいことリストを作ってみたのだが、いざ考えると10個も思いつかない。いやなんかこれは今さら実現不能だろとか、やるとしたら物凄く大変だよねとか、なんとなく明文化するのを避けたい心理が働くのである。小市民が後先考えてしまう。しかし100も案を出すとなるとどんな細かいつまんないことでも逆に実現が無理に思えることでも出していかないと埋まらない。なるほどな、こういうことか。

家をリノベしてみたいなんていう考えただけで尻込みするようなハードルが高い願望に、犬を飼いたいという実現するには考えなきゃならないことが多い欲望、具体的にどうすればいいのかわからん願い事、リスト化するのもバカバカしい細かい希望。腹筋を割ってみたいとすれば地道な筋トレを継続するしかないし、宝くじに当たりたいといったら神頼みするしかなくないか。あ、買うところから始めなきゃならんか。

まあなんでもいいのである。100個となるとこうなる。10個だったら厳選した上にたまに入れ替えも必要になるだろうし、20個だとわりと大きめな目標が揃うことになる。30個なら細かいものが入ってきてと、数が増えるに従って雑多な割合が増える。同時にすべての願い事を叶えなければならないという圧が下がる。一度それらをフラットに並べてみるのがいいんだろう。100のことというのは八百万と一緒で考え付くあらゆること、くらいの意味だな。

自分の願い事を叶えるのって実際のところけっこう大変なんだよね。ものによっては楽しむために特定のスキルが必要になったりするしさ。やりたいことというのはつまりトライアルなので、それなりにハードルが高い。心の準備に時間をかけないと泥縄で始めるにはちと怖い事だってある。気分が乗らない・準備ができてないときにこれを見ちゃうと億劫さが先に立って過去の自分に追い立てられるような厭な気分になる。こう、普段のテンションからシームレスになんとなーくクリアしたいんだよね。我ながら面倒くさい。しかし忘れっぽいんだから気分が乗った時のためにネタを準備しておく備忘録として活用すれば、その場の勢いだけで刹那的に動くよりは後から納得がいくのか。こうしてみると私は「やりたきゃやればいいじゃん!」という段階は破壊突破してるんだな。うん、確かにわりと自由に生きてるわ。それでも先延ばしにしてきたことはあるし、ここらでやり残したことを総浚いして「あとは何?」と確認しておくのもいいだろう。