東海道の続きを歩いた(神奈川~保土ヶ谷)

去年のゴールデンウィーク東海道を神奈川から品川まで歩いてみた。

東海道をちょっとだけ歩いてみた(1日目) - とは云ふものヽお前ではなし

東海道をちょっとだけ歩いてみた(2日目) - とは云ふものヽお前ではなし

東海道をちょっとだけ歩いてみた(3日目) - とは云ふものヽお前ではなし

その続きである。前回は神奈川から品川方向へ歩いた。前回の出発点だった神奈川台の関門跡から今回は逆方向へ向かう。チェックポイントで写真を撮りつつ散歩がてらぶらぶら歩くよ。

神奈川台関門跡

午前10:45出発。ほどよく寒く曇り空で歩きやすい天候である。ここから先は横浜駅とはちょっと離れているものの市街地近くを抜けることになる。

浅間下の歩道橋を渡って少し進むと住宅街の隙間にこんな看板が出ていた。えっ、ここ?

浅間神社参道入り口

入ってみると住宅の間を階段が抜けている。横浜は坂の街なので住宅街の間に階段があって歩行者の抜け道になっていることは珍しくない。というか、そこら中にある。両脇の石柱が神社に続くことを担保してくれているので進入しやすい。

浅間神社参道階段

階段を登り切ったら幼稚園の脇を抜ける。さすがにここまでどこかの敷地内っぽい抜け道はあんまりないよな。

幼稚園脇

建物の角を曲がったら立派な鳥居とお社があった。わーお。こうなっているのか。

浅間神社

帰りは反対側に広い参道があったのでそっちに降りた。

しばらくてくてく歩いて、旧東海道八王子街道の合流地点である芝生の追分。写真右手が八王子へ至る道で左が旧東海道である。そういやすぐ近くを国道16号線が通っているからあれがだいたい八王子街道か。東海道は基本的に国道1号線だもんな。

芝生の追分

東海道は商店街になっていた。あ、なるほど。こうやって昔の街道沿いの栄えたところが残っているわけか。入り口の空いている瞬間を撮ったので写真は寂れて見えるが、もうちょっと進むと狭い道に人出が多くておちおち写真を撮っていられないくらい賑わっていた。こうしてみると人の流れが戻ったねぇ。

松原商店街

16号線を越えてちょっといったところに江戸方見附跡があった。見附というのは簡易な軍事施設というか、宿場町に門のようなものがあって見張りの番兵を置いていたんですな。ここから保土ヶ谷宿に入るわけだ。

保土ヶ谷の江戸方見附

川を渡ってJR天王町駅前に出る。

帷子橋(新町橋)跡

帷子川は昭和の河川改修工事で大きく川筋が変えられており、昔は今の天王町駅前に川が流れていたそうな。広重の浮世絵に描かれた帷子川はここになるらしい。

東海道五拾三次之内 保土ヶ谷 新町橋

浮世絵との対比の話は神明社のサイトが面白かったのでご参考に。

神明社:浮世絵の謎解き

その神明社はノーチェックだったのだけど、途中で見かけて鳥居の向こうを覗いたらあまりに荘厳な雰囲気に呑まれ、なんか呼ばれた気がしたので素直にお参りしておいた。

神明社

祀っているのは日本神話の主神・天照大御神ご利益は国家安寧・厄災消除・子孫繁栄と話のスケールが大きい。摂社がたくさんあって参拝順路が明示してあった。各地の神社仏閣に敬意を表して立ち寄ることはあっても正直なところ御由緒を読んでも固有名詞がさっぱりなんだが、ここはわかりやすい。私の中の中学生が考えつきそうな錚々たる顔ぶれである。

そこから商店街を突っ切っていくと途中にある跡地の標識。

助郷会所跡

助郷(すけごう)とは交通の便のために近在の農家等に人馬の供給を課す制度のことで、いわゆる夫役だな。江戸時代には公用の旅行者や荷物を送る伝馬制度てのがあって、これが駅伝方式で宿駅から宿駅へ乗り継いでいくわけだ。語源そのまんまか。宿駅はそのための人馬を常備とかなきゃならなかったんだが、往来が増えるにつれて手が足りなくなって近在から召集したのが助郷。旅行者ってのは農繁期に多くて賃金は出たけど安くてやらされる側は大変だったらしい。

金沢横町道標四基

いい感じに疲れたので、今回はここまで。12:20なのでだいたい1時間半の道程である。散歩にちょうどいいな。保土ヶ谷宿と看板に書いてあったからつい安心してここで保土ヶ谷駅に向かってしまったが、保土ヶ谷宿の本陣は別にあったんだな。ま、いいか。次回は本陣から出発しよう。