あれから

わりと子供のころから終末論に心を寄せるタチで、なにかというと「大地震が起きないかな」と現実逃避な妄想をしていた。世の中が引っくり返るような大事件が起きて、身の周りの気に入らないアレも上手くいかないコレも一瞬で有耶無耶になったりしないかなというしょうもない願望。だから地震じゃなくても良かったのだが、恐怖の大王が降ってくるよりは現実的で、戦争よりは酸鼻極まりなくなくて、でもまあないだろうなと思える丁度いい塩梅の選択肢だった。もちろん問題の本質がそんなことではなくなったりしないのは百も承知だし、そもそもそんなことは滅多に起きないという諒解のもとになんとなく甘えたことを考えていただけなのだ。
しかし実際に超巨大地震が起きてしまった。起きてしまえば、当然だがその後もひたすら続いていく現実があっただけだった。それも津波や瓦礫や原発や、ひとつひとつが果てしなく重く面白いどころではない現実が。
いまは「大地震が起きないかな」と考えることは出来なくなった。そういう方向へ心がいきそうになると、実際起きたじゃん、それでどうなった? と流れが堰き止められる。逃げたい気持ちが無くなるわけではないが、それを本当に望んでいるわけではなく、望んだ効果が得られる都合の良い終末などないのだということを、体験的に否応なく納得してしまったのだ。
現実はいつでも正しい。行き場のないもやもやは今日も正しいはけ口を探してうろうろしている。


震災で亡くなったすべての方々の冥福を祈る。合掌。