安全弁を買わねばならない

水難の相が出ている現場である。なにをやっても一筋縄ではいかない。最後の山場を前にして、また水がブシャー!! と噴出した。ああ、もう。
失敗して初めて気が付く事というのは多い。よく考えたらそういうことだわな、というヒントは最初から目の前にあったのだが、エラーが出て初めてアレとコレの理屈が繋がって納得する。ヒントの時点で気が付いて先回り出来ればそれに越したことはないが、そうそう天才じゃねぇよというのが実情だ。そんなもんである。切実さ度合いが違えば思考の深度も変わってくる。
似たようなことで、自分のことならちょっとした「仕方ない」すら排除するために日常の行動も変え「仕方ない」の閾値を上げて対処しているが、他人事だとそこまでつきあいきれないというのはどうしてもある。人との軋轢はそういう温度差から発生するのだろうが、親兄弟だろうが自分以外の他人がこちらの都合を優先してくれるわけがないのである。誰しも自分が一番大事なのは当たり前なので自分で幸せになって欲しい。最後に頼れるのは自分だけ。
という感じで私は独立独歩の精神で乗り越えてしまうのだが、これが他人頼りの他人任せなタイプだとこういうときにどうするんだろう。失敗した相手を責めるのは不毛だがまあいいとして(いいのか?)、現実問題として共倒れするのか? 一緒にダメになる覚悟。運命共同体としてそういう方向の腹の括り方をしているということだろうか。
若い頃、男を立てて男に頼ってうまく転がせ、というようなことをアドバイスしてくれる人がいたが、我々の世代だとそうするのが女が生きるひとつの道だったりはした。ロールモデルは専業主婦が一般化した親世代だしな。しかし私は命運を人に仮託するのがイヤというか、私のことを一番真剣に考えているのはやっぱり私なわけで、どんだけ近しくとも人を介せばその人の都合や立場が混ざってきて、どうしても他人事になるしどこかズレが生じる。それこそ思考の深度が違ってくるわけだ。そのズレが我慢ならなくて厭だったんだよな。
まだ実家に住んでいた若かりし頃、不景気で仕事がないといったら親がスキルも何も身につかない給料も安く上がる見込みはないどころか下がるまであるようなパートの事務作業を探してきたわけだよ。将来性とか歳を取った時にどうするのかとかまったく考えないというか、その場を凌いでそのうちいい人見つけて結婚すればいいじゃないというノリだ。親世代にしてみれば女がする仕事といえば同じ腰掛でもウェイトレスよりは事務員のほうがイメージがいいしそんなもんでよかったのかもしれんが、時代も志向もそもそもの感覚や判定基準が違う。しかし他人任せにするというのはそういうことだ。子を心配した親の愛は疑っていないが、それとは無関係にあまり仕事運に恵まれない私の人生においてすらあの職場はひと際クソで時間の無駄だった。
そこまでいうなら自分で何とかしろとなるわけで、うん、したね。上手くいかなくとも自分でやったなら納得できるし、なにか希望通りじゃなくとも他人のせいにしたところで物事は変わらんのでそこは考えるだけ無駄だと学んだ。人生は請負なのである。連日の猛暑に汗でドロドロで熱中症になりかかり、現場は上手くいかなくて大残業になりお陰で休みもなくなり客先に頭を下げる羽目になり、現場に私用携帯を忘れてきて、忙しくておうちコープをストップしてるから家に食べるものがなくて、Amazonに頼んだ日用品は原因不明で届く前に返品になったとしても、自分の人生なので甘んじて受け止めるしかないのである。この現場、早く終わらないかな。