たまには音楽の話でもします?

まったく音楽の話をしないが、ひとえに私の聴覚の癖が強くて説明が面倒くさいせいだ。まず中2で止めるまで4歳から10年間エレクトーンを習っていた。確か止めたのはグレードが上がってこれ以上続けようとするとそれ相応のお金と時間が掛かるからという、世知辛いというか世俗的な理由もひとつあったような覚えがある。そんなに本格的にやりたいほど才能も熱意もなかった。他に小・中学校でトランペットとトロンボーンも齧っていた。これは齧っただけだが。こういうと「続ければいいのに」とよく言われるがやるほうは興味ないので、あしからず。

お陰で耳だけは肥えている。コードとか拍子とか調とか、音楽の基礎知識はある。聴いていて微妙に音を外されると黒板を爪で引っ搔いたときのような不快感を感じる。それでいて本人は音感もリズム感も十人並みなのである。演奏する側として才能がなく、聴く側としてもあまり才能がない。なんというか、音程以外にも苦手な音があるのだ。特に人間の声でオクターブ高めだと不快感があって厳しいことが多いが、声楽寄りの声質だと大丈夫だったりする。あれは人の声というより人体が楽器だからな。映画フィフスエレメントに出てきた歌姫の声は好き。でもマリア・カラスは苦手。なんでだ。

短い時間で耳を傾ければ好きなものでも長時間に亘って聴き続けるのは耳がキンキンしてきて無理だったり、外で流れている分にはそんなもんだと諦めがついているせいか音量がデカくなければそれほど気にしなかったり、ライブ会場やクラブのような場所だとそのつもりで行っているしそう長時間ではないので楽しめる。疲れるけど。なにがOKでなにがダメなのか自分でも試してみないとわからないのが厄介で、余計に音楽を聴くという行為が億劫になっている。

楽器を触っていたことがあるからかインストを好む傾向がある。クラシック、ジャズ、ワールドミュージック。どれもつまみ食いで詳しいわけではない。あとこれが一番大きいのだが、そもそも疲れていたり調子が悪いとずっと音が鳴っているのに耐えられないので、本当に調子が良いときしか音楽自体が聴けないのだ。自分で鳴らすのと他人の音楽を聴くのは違うんだよね。そんな器質的な限界があるので詳しくなるつもりもなく、人から薦められてもまず聴かない。

そんな私のいまのフェイバリットアルバムはこれ。

チャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルトである。この曲が特に好きというより、ベタベタな盛り上がり方をする旋律にやんちゃでピーキーなヴァイオリンがバッチリ嵌って拳を握るスリリングさが好いのだ。

そして最近買ったアルバムはこれ。

Rumble Of Thunder

Rumble Of Thunder

  • アーティスト:The HU
  • Better Noise Music
Amazon

モンゴルの伝統音楽×ロックでフンヌ(匈奴)ロックというらしいがジャンルはヘビメタ、いわゆるフォークメタルというやつである。デスボイスではなくホーミーを用い、胡弓・馬頭琴(モリンホール)、3弦のリュート族楽器・火不思(ホーブスー)をロックにのせるのが最高にクールだ。最近のイチオシである。高音のシャウトがないので私でも聴けるヘビメタなのだ。これのひとつ前に買ったアルバムに入ってる曲だが、PVがまたちょうかっこいい。


www.youtube.com


あととりあえずブガチャカしたやつは大体好き。

Queens and Kings [Explicit]

Queens and Kings [Explicit]

  • Asphalt Tango Records
Amazon

ボーカル曲にあまり食指が動かない特性のせいでワールドミュージックに流れた結果、わりと好むのはこのへんになった。声が入っていてもだいたいおっさんが適当に歌ってる感じなので神経に障らない。ある程度ノリが良くて聴いていて楽しくて楽器の音がする。映画音楽のカバーも面白いよね。

そうかと思うとほぼアカペラなやつも聴く。

チベット仏教の僧侶として初めてグラミー賞にノミネートされたラマ・タシ師の読経アルバムである。たぶん物凄く偉い高僧なんだと思うが、詳しいことはよく知らない。しかし濁声の深い音色は私のささくれた神経に沁み込んでくる。熊は嫌がるが、読経のCDは何枚か持っている。高野山のやつとか。平安時代あたりでは美声の僧侶が人気で法会となると聴きたい人が集まって大変だったなんて話もあり、それは有難い+人気アイドルのライブで大盛況だったのではと疑っている。それくらいのノリで聴いている。

他にジャズも聴く。

Tuesday Wonderland

Tuesday Wonderland

  • アーティスト:Est
  • Emarcy
Amazon

手持ちの中では今のところこれが一番楽に聴ける。静かなのからノリの良いのまで聴くが、好むのはどちらかというと古めのほうでフュージョンはよくわからない。私のジャズの入り口は新ルパンⅢ世のテーマだな。あれ単純にかっこいいよねぇ。テーマ曲集の2枚組CDも持っている。A列車も好きですよ。昔、トロンボーンでやったことあるし。

クラシックなら最近はピアノの音もいいなと思うようになってきた。バッハも好きで何枚か持ってる。しかしジャズもクラシックも数が多すぎて深掘りする気にならないんだよね。考えただけで壁の高さにうんざりする。これからも表面的に目についたものをポチポチと摘まみ食いするだけだろう。現代クラシック(語義矛盾)の脱構築はわからん。詳しい人たち同士で思う存分きゃっきゃしていて欲しい。

電子音楽は嫌いではないが聴いて面白いとも思わない。このへんは好みだろうね。

歌詞のテーマ性なんかにはあんまり興味がない。そもそも詩というものを深く理解できない。若い頃は提示された世界観にどっぷり嵌ったりしたもんだが、今は音を聴いて勝手にイメージを幻視するほうが良くなっている。

熊は音楽フリークかつコレクション気質であれがこれがといえばだいたい音源を大量に持っているんだが、聴き比べてみると私は同じジャンルの中でも聴けるものとそうでないものがあり、好むのは更にピンポイントなのだということがよくわかった。ストライクゾーンが猫の額よりも狭小かつ気難しい。もうそういう耳なんだからしょうがない。

トートバッグ2024

ずいぶん前に作ったトートバッグがヘタってきたので新しく作ることにした。

paseyo.hatenadiary.jpブログによると作ったのが2009年だから、えっ、15年も使ってたの?! そりゃ革紐も伸びて千切れそうになるわ。

取っ手が切れそう

くたくた

よく使ったなぁ。この大きさとカジュアル具合が使いやすかったんだな。当時と変わらず作業服+αを持って歩く生活をしているので、代わりのものが必要である。

新旧トートバッグ

ダダダッとミシンで縫って出来たものがこちら。また青い縞々である。狙ったわけではなく、たまたま買い置きの布地がこれだっただけである。本当にテキトーに縫ったので縫い目がよれている。ちと大きすぎたが、まあいいか。ヘルメットも入りそうだな。持ち手は片手で提げて地面に触らず肩に掛けることもできる絶妙な長さに調整してある。

クマー

ちなみに裏地はこれまた買い置きの生地で熊模様である。

死ぬまでにやりたい100のこと

黙祷。

 

さて、よくあるライフハックに「死ぬまでにやりたい100のこと」をリストアップするというのがある。欲望を具体的かつ明確にすることでやりたいと思いつつ日常生活のぬるま湯に浸ってずるずると先延ばしにしてしまうのを止めて1歩踏み出しましょうという前向きな指南なのだろう。

若い頃はまだ時間があると思っていたし将来を見据えて生活を維持するのに必死だったのでそれどころではなかったのだが、そろそろ中年を越して先が見えてきた身として、終活としての100のことを考えてみたらどうだろう。たぶん動けるのは70代まで。とするとあと20年である。それまでに100のことを実行するとしたら年に5個、2か月半にひとつは達成しないと間に合わない。この先何年生きるか、こればっかりは誰にもわからないけども、思い返してみると若い頃はそれなりに大変だったわけで、ここらへんでやりたい放題してもいいんじゃないか。ハタからみるとかなり自由に生きているように見えるらしいので「今よりもっとか!」と突っ込まれそうだが、本人視点では人生の荒波に翻弄されてその時々で溺れないように必死に犬掻きしていたらこうなっただけである。これでも多少は我慢してるんだよ。

そんでやりたいことリストを作ってみたのだが、いざ考えると10個も思いつかない。いやなんかこれは今さら実現不能だろとか、やるとしたら物凄く大変だよねとか、なんとなく明文化するのを避けたい心理が働くのである。小市民が後先考えてしまう。しかし100も案を出すとなるとどんな細かいつまんないことでも逆に実現が無理に思えることでも出していかないと埋まらない。なるほどな、こういうことか。

家をリノベしてみたいなんていう考えただけで尻込みするようなハードルが高い願望に、犬を飼いたいという実現するには考えなきゃならないことが多い欲望、具体的にどうすればいいのかわからん願い事、リスト化するのもバカバカしい細かい希望。腹筋を割ってみたいとすれば地道な筋トレを継続するしかないし、宝くじに当たりたいといったら神頼みするしかなくないか。あ、買うところから始めなきゃならんか。

まあなんでもいいのである。100個となるとこうなる。10個だったら厳選した上にたまに入れ替えも必要になるだろうし、20個だとわりと大きめな目標が揃うことになる。30個なら細かいものが入ってきてと、数が増えるに従って雑多な割合が増える。同時にすべての願い事を叶えなければならないという圧が下がる。一度それらをフラットに並べてみるのがいいんだろう。100のことというのは八百万と一緒で考え付くあらゆること、くらいの意味だな。

自分の願い事を叶えるのって実際のところけっこう大変なんだよね。ものによっては楽しむために特定のスキルが必要になったりするしさ。やりたいことというのはつまりトライアルなので、それなりにハードルが高い。心の準備に時間をかけないと泥縄で始めるにはちと怖い事だってある。気分が乗らない・準備ができてないときにこれを見ちゃうと億劫さが先に立って過去の自分に追い立てられるような厭な気分になる。こう、普段のテンションからシームレスになんとなーくクリアしたいんだよね。我ながら面倒くさい。しかし忘れっぽいんだから気分が乗った時のためにネタを準備しておく備忘録として活用すれば、その場の勢いだけで刹那的に動くよりは後から納得がいくのか。こうしてみると私は「やりたきゃやればいいじゃん!」という段階は破壊突破してるんだな。うん、確かにわりと自由に生きてるわ。それでも先延ばしにしてきたことはあるし、ここらでやり残したことを総浚いして「あとは何?」と確認しておくのもいいだろう。

映画:ARGYLLE アーガイル(監督:マシュー・ヴォーン)


www.youtube.com

マシュー・ボーンと書くとバレエの振り付けの人と間違えそうなので、こっちのボーンさんは頭文字Vなのでヴォーン表記にしてみた。キングスマンの人ですな。
ヒロインが細っこくないのがよかったなぁ。前半はいかにもぽやんとしたのんきな人気作家らしい雰囲気があったし、過去を思い出した後のキレのいいアクションにも説得力が出て一挙両得であった。過去作をみると普通に痩せているのであれは役作りだったのかね。アクションは実に様になっていたし運動神経の良い人なんだな。
ストーリーは最初は人気作家のスパイ小説が予言書になっているという荒唐無稽な、しかしどこか馴染みのある不思議設定から始まり、意外にもその理由が無理なく説明されていく。そう、荒唐無稽そうに見えて、意外にも。いやスパイアクションという時点で充分荒唐無稽なんだけども。今までにもありそうな話と別のありそうな話を繋げて、それで事象の理由はシンプルにすんなり説明できるのだ。いっそ構成の美しさすら感じた。アクションはくどいけど。
アクションをただアクションと描くことに退屈さを感じるのか、何かしら捻りを入れてくる監督である。かっこいいだけのアクションは野蛮だと思ってるのかもしれない。今回はスモークグレネードを駆使しての見せ場であった。体術が「舞うように」と表現されることはあるが、ソシアルダンスとアイススケートをそのまんま使うというのはありそうでなかったようで逆に新鮮だった。オリエンタルな踊りならアクションと融合してるのをどこかで見た気がするので、英国やヨーロッパの踊りだからダメってわけではないな、うん。

浴衣で羽織もの

大昔にユニクロで買った浴衣がある。季節物なのでしまい込んだままになっているのだが、まあもう着ないよね。2、3回しか袖を通していないのでただ捨てるのもなんだかな。何とかならんかと思っていたらリメイク動画があったのでそれに従って羽織ものにしてみた。

こんな柄なので夏専用である

なるべく解かずズバッと切って縫い合わせる! ということなのでズバッと切る。

ズバッ

上の身ごろは胸下のボレロくらいの長さにして下のスカート部分は襟先より下側の褄下を使うようだ。真ん中は使わない。袖は袂を切り落として縫い合わせる。あとは襟を内側だけ解いて幅を狭く切り落としてバイヤスっぽく縫い直す。

浴衣リメイク羽織もの

で、こうなった。下に合わせたのはロング丈のワンピースである。やっぱりなんか和物っぽい雰囲気になるんだな。肩の付き方かなぁ。

紐付き

カシュクールを閉じられるように共布の紐付き。

ワンタック

幅はスカート部分のほうが広いのでその分をタックにしてある。動画だとギャザーを寄せていたけど、布地が綿100%でもぱりぱりした硬い生地でギャザーにすると変に広がりそうだったのでタックに変更。

ポケット

ついでに切り落とした袂の生地でポケットも付けといた。袂はポケット代わりっていうしね。

よし、作ったので満足。貧乏性なので活用できなかったものをそのまま捨てるのはしのびないのだが、一度加工すれば供養できた気がして作っただけで満足するのである。

 

参考にした動画はこちら↓

たたんだままカットして、あっという間にサクッと羽織れるアウター作れてしまいました!!大発見!!かもしれない☺️ - YouTube

東海道の続きを歩いた(神奈川~保土ヶ谷)

去年のゴールデンウィーク東海道を神奈川から品川まで歩いてみた。

東海道をちょっとだけ歩いてみた(1日目) - とは云ふものヽお前ではなし

東海道をちょっとだけ歩いてみた(2日目) - とは云ふものヽお前ではなし

東海道をちょっとだけ歩いてみた(3日目) - とは云ふものヽお前ではなし

その続きである。前回は神奈川から品川方向へ歩いた。前回の出発点だった神奈川台の関門跡から今回は逆方向へ向かう。チェックポイントで写真を撮りつつ散歩がてらぶらぶら歩くよ。

神奈川台関門跡

午前10:45出発。ほどよく寒く曇り空で歩きやすい天候である。ここから先は横浜駅とはちょっと離れているものの市街地近くを抜けることになる。

浅間下の歩道橋を渡って少し進むと住宅街の隙間にこんな看板が出ていた。えっ、ここ?

浅間神社参道入り口

入ってみると住宅の間を階段が抜けている。横浜は坂の街なので住宅街の間に階段があって歩行者の抜け道になっていることは珍しくない。というか、そこら中にある。両脇の石柱が神社に続くことを担保してくれているので進入しやすい。

浅間神社参道階段

階段を登り切ったら幼稚園の脇を抜ける。さすがにここまでどこかの敷地内っぽい抜け道はあんまりないよな。

幼稚園脇

建物の角を曲がったら立派な鳥居とお社があった。わーお。こうなっているのか。

浅間神社

帰りは反対側に広い参道があったのでそっちに降りた。

しばらくてくてく歩いて、旧東海道八王子街道の合流地点である芝生の追分。写真右手が八王子へ至る道で左が旧東海道である。そういやすぐ近くを国道16号線が通っているからあれがだいたい八王子街道か。東海道は基本的に国道1号線だもんな。

芝生の追分

東海道は商店街になっていた。あ、なるほど。こうやって昔の街道沿いの栄えたところが残っているわけか。入り口の空いている瞬間を撮ったので写真は寂れて見えるが、もうちょっと進むと狭い道に人出が多くておちおち写真を撮っていられないくらい賑わっていた。こうしてみると人の流れが戻ったねぇ。

松原商店街

16号線を越えてちょっといったところに江戸方見附跡があった。見附というのは簡易な軍事施設というか、宿場町に門のようなものがあって見張りの番兵を置いていたんですな。ここから保土ヶ谷宿に入るわけだ。

保土ヶ谷の江戸方見附

川を渡ってJR天王町駅前に出る。

帷子橋(新町橋)跡

帷子川は昭和の河川改修工事で大きく川筋が変えられており、昔は今の天王町駅前に川が流れていたそうな。広重の浮世絵に描かれた帷子川はここになるらしい。

東海道五拾三次之内 保土ヶ谷 新町橋

浮世絵との対比の話は神明社のサイトが面白かったのでご参考に。

神明社:浮世絵の謎解き

その神明社はノーチェックだったのだけど、途中で見かけて鳥居の向こうを覗いたらあまりに荘厳な雰囲気に呑まれ、なんか呼ばれた気がしたので素直にお参りしておいた。

神明社

祀っているのは日本神話の主神・天照大御神ご利益は国家安寧・厄災消除・子孫繁栄と話のスケールが大きい。摂社がたくさんあって参拝順路が明示してあった。各地の神社仏閣に敬意を表して立ち寄ることはあっても正直なところ御由緒を読んでも固有名詞がさっぱりなんだが、ここはわかりやすい。私の中の中学生が考えつきそうな錚々たる顔ぶれである。

そこから商店街を突っ切っていくと途中にある跡地の標識。

助郷会所跡

助郷(すけごう)とは交通の便のために近在の農家等に人馬の供給を課す制度のことで、いわゆる夫役だな。江戸時代には公用の旅行者や荷物を送る伝馬制度てのがあって、これが駅伝方式で宿駅から宿駅へ乗り継いでいくわけだ。語源そのまんまか。宿駅はそのための人馬を常備とかなきゃならなかったんだが、往来が増えるにつれて手が足りなくなって近在から召集したのが助郷。旅行者ってのは農繁期に多くて賃金は出たけど安くてやらされる側は大変だったらしい。

金沢横町道標四基

いい感じに疲れたので、今回はここまで。12:20なのでだいたい1時間半の道程である。散歩にちょうどいいな。保土ヶ谷宿と看板に書いてあったからつい安心してここで保土ヶ谷駅に向かってしまったが、保土ヶ谷宿の本陣は別にあったんだな。ま、いいか。次回は本陣から出発しよう。

上総一ノ宮行きと釣が崎の鳥居

首都圏の電車はあちこちの路線が相互乗り入れしていて1本の電車が長い距離を走っているのが珍しくない。行先表示が土地勘のないところのものなので、どっち方向なのか見当識を失うことすらある。この電車はどこまで行くんだろう。ずいぶん遠くまで走るんだろうなぁ。仕事に疲れたときに、ふと終点まで乗ってみたらどうだろうと思ったのが事の始まりである。どれにしようか。急に群馬まで連れていかれてもいいけど困るかなぁ。上総一ノ宮って地名がかっこいいな。どこだろう。九十九里浜? よし、海を見に行こう。

横須賀総武線外房線直通、上総一ノ宮行きに決定。

行先表示 上総一ノ宮

横浜駅から終点まで乗って2時間10分、長いのでグリーン車である。仕事を頑張った私にこれくらいのご褒美をおくれよ。

上総一ノ宮駅

千葉は土地が平らで空が広い。駅名の上総一ノ宮は玉前神社のことなのでお参りすることにした。

肉屋のコロッケ

途中で買い食いした肉屋さんのコロッケが注文してから揚げるスタイルで、揚げたてサクサクの中に熱々の芋から肉の旨味がじゅわっ溢れだしてとても美味しかった。

上総一ノ宮玉前神社

社殿が黒いのが珍しいような。境内に入るとなんだかほんわりした優しい雰囲気の神社だった。

駅に戻って1時間に1本の外房線に乗り、隣の東浪見へ移動。

東浪見

オシャレな無人駅である。東浪見って何て読むのかと思ったら三文字で「とらみ」というんだな。知らなきゃ読めない地名だ。

海丸

てくてく歩いて住宅街の一角にあるドライブインのような海丸さんでお昼にした。

マグロアボカドユッケ丼

ゴマとニンニクとごま油の香りが和風スパイシーで美味しかった。

さらにてくてく歩いて釣が崎海岸へ到達。

釣が崎の鳥居

砂浜に石の鳥居がゆるぎなく建っている。この鳥居は祭事用のもので、先にお参りした玉前神社玉依姫を中心とした、普段は分かれて住まう神様の一族がここで再会するのだそうな。

十二社祭りは、玉前神社の祭神である玉依姫が上陸した、と伝えられる太東崎に、その一族である神々が年に1度集まることに由来する、といわれています。大同2年(807)頃から始まったといわれ、神輿を担ぐ人々が裸に近い姿で波打ち際を走ることから「裸祭り」の名前で親しまれています。

上総十二社祭り【無形民俗文化財】 | 一宮町役場

左は見渡す限り九十九里浜ー!

九十九里浜の南端に上陸した古代の一族ってどんな状況だったんだろう。大昔のメインルートは日本海側という雑なイメージがあるけど、思いっきり太平洋側の外海だよなぁ。沿岸沿いに移動して広い平野に上がったのかなぁ。(妄想)

右を見るとあの向こうが太東崎方向

夜は星がきれいらしい

オリンピックのサーフィン競技の会場だったこともあり、すぐ近くまで車で入れてトイレやシャワーブースも近くにあった。ここで天の川が見られたらきれいだろうなぁ。

神社に詳しいわけではないのだが、海と鳥居の組み合わせはなかなか良いものだな。近年は出かける理由が動物・水族園館に寄りすぎており、もちろんこれからも行くけど違う景色も見てみたい。調べてみたらわりとあちこちにあるみたいなので、これからは海と鳥居を目指して出歩いてみようかな。